『なかばや』こと中林 潤哉(なかばやし じゅんや)と申します。1968年7月 2日この世に生を受けました。母の話によりますと、6月20日頃に出て来るは ずがお腹の中に居座り、7月1日の地震に驚いてやっと生まれてきたそうです。 このあたりから、既に現在の性格の一端が見えているような気もします。
2歳の頃までは東京にいたそうですが全く覚えていません。親の証言によると、 全然人見知りをしない赤ん坊だったので、周りの人に大層可愛がってもらえたよ うです。自分としてはものごころついてから大学に入るまでを過ごした 横浜 (の端っこ)を故郷だと思っておりますし、野球のひいきは79年の移転以来 ベイスターズ (ホエールズという名前は気に入ってたんですけどね)と決めております。
御幼少のみぎりは可愛い子供だったらしく、近所に同年配の子どもがやたら多か ったせいもあってひがな一日遊び回っていました。年と共に理屈の多い『可 愛くないガキ』へと育っていったようです。それでも小学生の時の文集など見ま すと、「宇宙で本屋を開きたい」と将来の夢を語っております。
この「宇宙で本屋を開きたい」という変な夢ですが、その頃の私の二大関心事で あった「科学」と「読書」を両立させんがためのものだったのでしょう。三つ子 の魂百までといいますか、「科学」は今の本業ですし、この頃から今に至るまで 一貫した乱読家でもあります。
今にして思えば懐かしい気もしますが、中学生の頃というのは何に対しても一々 悩んでいましたねえ。その癖反抗期のまっただ中で素直に悩みを表現したりしま せんから、我ながら可愛くなさ100%ですね。あと、中学生の時の想い出とい えば、校則を作り直したことと、卒業式で答辞を読んだことでしょうか。
とりあえず15の春は泣かずに済みましたので、無事に高校生にはなりましたが、 今にして思えばほんと勉強しませんでしたね。もう少し正確にいうと、好きな科 目は勉強という意識は全く無しに完全に趣味と化していましたし、そうでない科 目は、、、まあ察してください。` なかばやHomeにもどる。