2001年4月

1日 風邪治らず
昨日が母方の祖父の白寿の祝いだったのだが、そこで聞いた長生きの秘訣について書くことにする。 年をとるとなによりもつらいのが友だちがどんどん死んでいってしまうことだそうだ。 そしてだんだん自分から人の家に遊びにいくことが出来なくなってしまうのもつらいらしい。 どうすればいいかというと、60才を過ぎてから出来る趣味を二つ以上持つこと。 一つは相手がいなくても自分だけで出来るもの。もうひとつは若い友だちをつくることが出来て、 その友だちが自分の家に遊びにくるようになるものだそうだ。

それでもその若い友だちですらほとんど死んでしまっているらしい。その結果、訪ねてくる人も減ったようだ。 さらに周囲の人が勝手に自分のことを死んでしまったと思い込んでいる場合も多いらしく、 高校の名簿は申込んだのに送られてこなかったので、高校に電話で文句をいったそうだ。

父方の祖父の方も全く同じ年の生まれであり、昨年97歳で亡くなった。 こちらも長生きであり、その生き方には長生きの秘訣があると思うのだが、母方の祖父とは随分違う。 母方の祖父が上手に遊んでいたのに対して、父方の祖父はとにかく鍛えていた。 まずよく走っていた。85歳くらいまで朝はランニングをしていた。 河口湖マラソンにも出場して5kmの部を走っていた。 90歳くらいのときにはさすがに走らなくなっていたが、それでも朝の散歩はしていた。 そしてとにかくニンニクを沢山食べていた。 常に10歳以上若く見えた。結局最後の1年で10年分くらいの年をとってしまったのだが、 100歳は余裕で超えるだろうと家族皆確信していたものだった。

100歳まで生きるのは10000人に1人らしいが、母方の祖父はおそらく到達するでしょう。 そのときにまた会いに行くことにしよう。

長生きと関係あるのかどうかはわからないが、父方の祖父は何十年と日記を書き続けていました。 少なくとも私が生まれてからの分は実家に現存するので、これもいつか必ず読破したいと思う。

京都を出発するときから風邪にかかっていたが、何ら処置をせずに東京に行ってしまったのが失敗。 長引いてしまい、まだ熱が下がらない。気分は悪くないが咳が出るのが鬱陶しい。

2日 
風邪はすっかりよくなって、京都に戻ろうとしたが、おふくろにメールを教えるのに一苦労し、帰れなくなってしまう。 gooのフリーメールを教えたが、これまでにみた造形のどの生徒よりも覚えが悪く、素直でない。間違いを認めない。 中高年の初心者相手のパソコン教室の先生ってきっとかなり大変ですね。

高校野球は準々決勝。名物監督などもかなり減ってきている中、監督インタビューが面白いのはやはり常総の木内監督。 終わったばかりの試合の分析をインタビュアーが聞いていないことまで勝手にしゃべりだしてしまう。 この日のコメントで印象に残ったのは、スクイズか強攻するか迷ったとき、春はヒーローを作って帰りたいから強攻、 夏ならスクイズ、という考え方。ちなみにこれもインタビュアーが「あの場面。迷いましたか?」などと 聞いたわけでもないのに勝手にしゃべり出したものです。

3日 
京都に帰ってきた。このメモ帳の更新がまたしてもたまってしまったので書く。 月をまたいでしまったので、更新内容はすべて無理矢理4月分として書くことにする。
4日 
研究室お花見。花と天気に恵まれたいいお花見でした。 ただ、毎年恒例(というほど毎年ではないが)の集合写真を取り忘れたことが気掛かり。

足につけているおもり(俗にいうパワーアンクル)に関していろいろ花見の席で質問された。 花見の席では話さなかったが、つけるに至ったきっかけは、ルネの若者たちと出場した体育会のサッカー大会です。 若い人の足を引っ張らないように、大会1ヶ月前くらいから少し足に負荷をかけようとしたのでした。 その後、おもさを重くしていって現在に至っている。今は、一石三鳥以上の効果がある。

ものすごく早起きし、下宿周辺でラーメンでも食べてから大学にいくプランを描いて、 夜はまだプロ野球をしているころに眠りにつく。

5日 のち
起きてみると午前4時。早起きには違いないが、ラーメンプランには絶望的な時間。あきらめる。

野茂がまたしてもノーヒットノーラン達成。素晴らしい。丁度私が学部一回生の時が、野茂のプロ野球デビューの年だった。 東京にいたころは近鉄の試合の放送は全くなく(1988年、1989年の優勝争い時を除く)、関西に住めば野茂の投げる 試合を沢山見ることが出来るのではないかと、京都に来る前は期待していた。 そんなに放送のないことはすぐに思い知らされた(地元チーム扱いは阪神のみなのか)。 結局、野茂を初めてテレビで見たのは、NHKが生中継放送した 日ハムvs近鉄に野茂が敗戦処理(まだ先発ローテに固定されていなかった)で登板したときだった。 そしてこの試合、実は日ハムの柴田がノーヒットノーランを達成してしまった。 パ・リーグのノーヒットノーランの試合が生中継されたのはこれが初めてだったのではないかと思ったもの(これは現在も未確認)。 なんて貴重なテレビ視聴だったのだろうと思っていたが、昨年の近鉄vs西武での近鉄エルビラのノーヒットノーランも数少ない 地上波生中継された試合での出来事だった。おかげで見ることが出来た。 テレビ中継されているかいないかが、かなり選手に影響を与えているような気がする。

6日 
夜、ルネの花見に顔を出した。心配された天気もくずれることはなかった。 30人くらい集まっており、顔と名前が一致しない人も多い。 これは新顔のイベント参加が増えていることをあらわしており、 ルネがまた活発になっていることを感じる。嬉しいかぎりだ。
7日 
とにかく暑い。昼過ぎに下宿から大学に向かったが、この暑さにはちょっとうんざりした。 アイスクリームでも買おうと思い、コンビニに入ると冷房がはいっていた。
8日 
東京に移動。京都駅はかなり混雑していた。ツアー客がホームにあふれ、 添乗員が間違えて違う号にのりそうになった人を止めたりといった具合。
9日 
朝のテレビでタイガー・ウッズのメジャー4連勝を確認。 強い。しかも世間がその強さを見たがっている。 タイガー・ウッズが強くてゴルフがつまらないという話しも 聞いた事がない。 自分が生きている間にウッズより凄い奴は出てくるのだろうか。
10日 
実家のインターネット常時接続実現に向けて、 家族の説得および下調べを進める。 ケーブルテレビとNTTのISDNおよびADSLという 3つの選択肢がある。資料をもらいにNTTに行って話も聞いてきたが、 結局どれも値段的には同じであるということがわかった。

NTT探しに時間をくってしまった。 実家から一番近いNTTはなくなってしまったらしく、 NTT請求書に書いてある住所を目指して 自転車をこいでいったものの、 そこのNTTにはお客様用窓口はなく、 お客様用窓口のある建物への地図が書いてあるだけだった。 地図を見るとどうも池袋駅の東武デパート付近にあるようだ。 駅前で地図を見ると、東武デパートの別館のとなりにあるように 見えたので、とりあえず東武デパートの別館までいってそこで再び 地図をみると、地図からNTTの表示が消えている。 それらしき建物も周りにはなかったので、さらに先に進むと 地図に再びNTTの表示が復活している。こんどは行きすぎたようだ。 こうなると考えられることはただひとつ、 デパートの中にNTTがあるということだ。 ところが1階で館内の案内をみたところ、 どのフロアにもNTTがあるとは書いていない。 とりあえず本屋にでも行こうと思い、エレベーターに乗ったとき、 はじめて9階にNTTがあるという表示を見ることが出来た。 建物の外からは、その建物の中にNTTがあるとは決して わからない(私だけわからなかったのかもしれないが)ような 作りになっている。 客商売とは思えない不親切さにちょっとびっくりした。 これだけわかりにくくしておいても客がくるのだからいい商売ですね。 今度行く時はテプラで「NTTお客様窓口」のシールを作って、 デパート1階のフロア案内版の9階のところに貼っておいてあげよう (ここまで書いて、実は貼ってあったものを誰かが悪戯で はがしたのではないかと思い始めた)。

11日 
12年ぶり(多分)に東急東横線に乗った。 噂には聞いていたが特急が出来ているのには驚いてしまった。 山手線の混雑もかなり緩和された。複々線化の効果がある。 昨日は池袋周辺の変化に驚かされた。 10年は長い。
12日 
京都に帰る。下りの新幹線も混雑していた。次のひかりの自由席の列に並ぼうと思ったが、 人数を数えてみるとひとつの入口あたり50人を軽くこえており、 座ることの出来ないことが判明。その一本後のひかりの列に並んでなんとか座ることが出来た。
13日 
下宿から大学までの道のりを歩くのが日々の小さな楽しみのひとつなのだが、 考えてみると引っ越してから一度も雨の中を歩いたことがない。 昨日は京都では雨が降ったらしいが、私は東京にいたので(天気予報は雨だったが)避けることができ、 かつての雨男ぶりが2月の北海道旅行のころからかげを潜めている。 これまでの私ならば、間違いなく昨日は東京で雨が降って、京都は晴天のはずだ。 ルネ花見の日も予報は雨だったのに降らなかった。 何かが変わりつつあるような気がするが、雨男返上宣言はもう少し様子を見てからにする。 嘘つきにはなりたくないので。

今日は13日の金曜日。 世間的には不吉らしいが、私にとっては生まれた日1970年11月13日も金曜日だったのだからあまり 不吉だというイメージはない。中学か高校のころ、2万年(このあたりの数字は適当)に一度の不吉な日だと 新聞が騒いでいた日があった。13日の金曜日かつ仏滅かつ満月であり、さらにもうひとつ何かが重なった 日だったのだが、結局全国的に平和な日だったと記憶している。

サッカーJ2の上位チーム対決、京都vs大分は京都の逆転勝利。どうやら明らかに京都より格上のチームというのはないようだ。

14日 
東京六大学野球の公式戦に東大の女性投手が登板した。これで東京六大学野球リーグでは二人めの女性選手なのだが、 二人とも投手だ。日本人メジャーリーガーも最近まで投手のみだったことを考えると、 野球の技術の中で最も体力差がきいてこない(体力差だけで決まるわけではない)のはピッチングだということになるのだろうか。 例えばゴルフのパッティングなんていうのは男女差があるようには思えないですし、 ピッチングというのはそういうものかもしれない(自分に投手経験どころか野球経験がないのでよくわかりませんが)。 それとも、単に野手の場合は同ポジションで2番目の選手の出番がないが、 投手ならチームで10番手以内いれば出番があるというだけのことなのだろうか。

今回登板した女性投手が左腕のアンダースローであるというのが漫画みたいで少し気になる。

二穴との会話中、「偏微分方程式」という言葉がなかなか出てこなかった。 昨年度は研究室の4回生の名前を度忘れしてしまったこともあった。 昔は早押しクイズなどでボタンを押しておいて考え込んだあげく時間切れとなってしまう人のことを 全く理解出来なかったが、今ならよく理解出来る。 能力の劣化と引き換えに寛容さを手に入れたとも言えるかもしれないが、やはり劣化したことが悲しい。

15日 
今日は「淡路島」を思い出すのに時間がかかってしまった。本当にこんなんでこの先大丈夫なのだろうか。 かなり不安になってきた。最近どうもいろいろ体に変化を感じる。風邪をひいたり、度忘れしたり、 食が細くなったりとどれもあまり好ましくない方に変化している。食が細くなるのは経済的でいいかも しれないが。
16日 
研究室の新年度ゼミが始まった。 昨年度の活動報告および今年度の研究計画発表をし、 学生長および部屋長など様々な係を決めた。

自分が4回生の時の年度初めの談話会の資料を見返してみた。 日付は4月9日。今年より一週間早く研究室が始動している。 しかもそのときの資料にすでに4回生の課題研究テーマとM1テーマがリストアップされている。 しかもこの時点で学生長、部屋責任者、若手会係などもすでに決定している。 当時4回生の私が4月9日にこの年度最初の談話会に参加しているということは、 すでに3回生の時に談話会の日程に関して連絡を受けていたということになる。 そしておそらくこの日が4回生の新歓コンパだったのだと思う。 毎年同じことをしているようで実は少しずづ変わってきている(いいかげんになっているだけかもしれない)。

17日 
研修員の研修料を本部時計台まで納めにいく。現金払い。払っているのだと強く実感した。 下宿の家賃も引っ越すたびに、自動引き落とし→振り込み→現金払い、と変化した。 要するにこの4月からほとんどの支出が現金払いになったということになり、 本当は支出は減っているにもかかわらず、 ものすごくお金を使っているような気持ちになっている。
18日 
研究室が新4回生を迎えた。80年代生まれも登場して驚いたが、2〜3年前にルネに80年代生まれが 現れたことを考えるとあたりまえのことだ。でも2度おどろいてしまった。

「いきいき健康ライフ」という冊子が配られた。自分の健康は自分でチェックしようとう主旨の冊子なのだが、 様々な◯◯チェックをすると、ことごとく不健康のレッテルを貼られてしまい、あまり気持ちのいいものではない。 健康を意識し過ぎた生活が、かえって毒物に対する耐性を弱くすることはないのだろうか。 少し不健康な生活をしていた方が、いざというときに強いような気がするのだが単なる自己正当化なのだろうか。

19日 
大学の同級生が研究室に遊びにきた。アメフトをしていた昔は引き締まっていた体がおおきくなっており、 幸せ太りの見本となっていた。子供も生まれ、休みの日はいいパパさんになっているようだ。 6月から会社の命を受けて京大工学部に勉強にくるらしい(かなりきつい勉強ノルマを課されているようだ)。 京都から減る一方の同級生だが、久しぶりに1人増えることになった。
20日 
理学部院生の健康診断指定日がゼミと重なっているので、 工学部4回生の指定日である今朝健康診断に行った。 基本的には朝早く行った方がかかる時間も少なくなるものだ。 が、ちょっとした間違いと大きな間違いがあった。 まず小さな間違いは工学部生は朝早いということが頭になかったこと。 例年の理学部院生の場合、時間がおそくなるほど行列が長くなる。 自分が終わった後にこれから受ける人の列を見て、早くきてよかったと 思うのがよくある展開だった。 今日は違った。自分が帰るときに行列を見てみると、 並んでいる人はほとんどいない。ほとんどの学生が9時付近に集中して きていたのだろう。10時30分くらいにいったらほとんど待ち時間なく いけたはずだ。 そして大きな間違いは、研修員は職員扱いなので、 学生の健康診断期間に受けてはいけないということ。 問診表が机においてあったので何の疑いもなく受けに行ってしまったが、 レントゲンの受付けで、今日の分は全てキャンセルで職員の日に来て下さいと 言われてしまう。 提出した問診表を回収しに戻る途中、健康診断バイトの学生から 「研修員っていうのはどういうものなのですか?」と聞かれたので 答えたが、分かってくれたかどうかは不明。 一緒に行った山下も学生証にレントゲン番号を貼るためのシールを貼り忘れていたが、 これは致命傷にはならないようだ。
21日 
明日の新聞でもほとんど無視されるであろう事実ですが、プロ野球パリーグは近鉄が首位になりました。 鈴木啓示や佐々木恭介に監督やらせて、10年は芽が出ることはないだろうと思っていたのですが、 どうなるでしょうか。他球団が弱体化しているだけですかね。

J2サンガat大宮をテレビ観戦。テレビ解説は「水島武蔵」。昔少し騒がれたが、いつのまにか解説者になっていた。 それにしてもテレビから「サンガの攻めが速い」とか「精神的に優位にたっているから後半強い」などと 次から次へと褒め言葉が発せられている。去年は速い攻めなど練習していないのではないかと思ったくらいだが、 単に相手が強くて速く攻められなかっただけのようだ。

22日 
造形の3回生以上の学生の中に、1・2回生時に落とされたコンピュータ演習の単位を矢島で取ろうと 考えていたのに、登録しようと思ったら授業がなくて愕然とした奴が数人いるという話しを聞いた。 そんなに楽勝だと認識されていたのか。確かにもう一人の先生よりは楽だったとは思うが。 別の奴から聞いた話によると私の授業の略称は「ヤジコン」だったそうだ。 去年「ヤジコン」落とした極少数の奴は、もうこの単位とるのはかなり厳しいだろう。 貰ったチャンスは確実に活かさなければいけないということを忘れないで欲しい。
23日 
写真付身分証明書が運転免許証しかないにもかかわらず、引っ越しに伴う住所変更手続きをしていなかったので、 左京区総合庁舎経由で下鴨警察署に行く。かなり待たされるかと思っていたのだが、あっという間に終わった。 単に裏に新しい住所を手書きして判を押すだけ。免許証汚されただけのような気がする。
24日 
最近研究が進まない。今日も新しいアルバイト先に打ち合わせのために行ってきた。 1ヶ月前には想像もつかなかった人たちと知り合いになったりするのは楽しいのだが、 ちょっとした消耗もある。結構疲れました。
25日 
研究室新歓コンパ。参加者がやや少なめだったは残念だったが、研究室の雰囲気は新人に伝わったと思う。 それにしてもどうしてこの研究室にこういう人材が集まるのだろうか。 新人が研究室に入ってくる前に知っている情報は、基本的には先生方の授業しかないはず。 だとするとこの研究室の先生方の授業には、こういう人材を集める力があるということになる。
26日 
下宿に帰る前に少し軽く食べることにしてた。頭の中に、帰り道に下宿付近のラーメン街の どこかに吸い込まれてしまう自分の姿が見えたからだ。 下宿周辺のラーメン店もほぼ一通りまわったが、それでも少しお腹をすかせてあのあたりを 歩いたときには、あの明かりと匂いに引き寄せられてしまうものだ。
27日 
北部食堂では今週の頭くらいから夏期メニューざるそばを出食するようになっている。 連休明けにはおそらく冷麺の出食がはじまるはずで、楽しみにしている。 4月というのは、冬期限定メニューは終わり、夏期メニューはまだはじまらず、 しかも食堂は混雑という最悪の時期なのだが、ようやくそれが終わる。 食生活的には待ち遠しい5月なのだが、その後半年にわたる酷暑を思うと少し気が重くなる。
28日 
研究室後輩の結婚式二次会に出席。出席者多く、なかなか主役と話しをすることは出来なかったが、 新居が京都だから遊びに行くことも出来るだろう。 おめでたい話しで連休がスタートした。
29日 
宝が池球技場でアメフトの試合観戦。京大vs鹿島建設。 相手が随所に若手を大量に起用していたので、それなりに試合になった。 スコアは京大12-22鹿島建設。 去年から試合に出ていた選手が皆活躍したのが嬉しい。 新戦力の台頭も大事だけれども、やはり4回生の充実があってこそ。 相手が4thDownギャンブルで板井(京大OB・NFLヨーロッパ経験者)のポストを使ったときには (当然のごとくTD)さすがに大人と子供のような差があったが、 このスピードを見ておけば、まあ国内では誰とマッチアップしても驚くことはないだろう。 いい試合だった。

本日は雨中での観戦となりました。やはり雨男返上は夢だった、、、

下宿に戻ると柔道の全日本選手権。四連覇を狙う篠原に井上康生が判定勝ち。 旗判定後はすごい歓声。 6分という試合時間はやや短い気もする。あっという間だった。 世界の舞台で活躍する日本人スポーツ選手に注目が集まる昨今だが、 この両者の対戦は日本でしか見ることが出来ない(五輪や世界選手権では見ることの出来ない )世界の頂点対決だ。 日本でしか見ることの出来ない世界の頂上対決が他にあるかどうか考えてみたが、 やはり思い付かない(五輪種目限定)。世界選手権やW杯が日本で行われるのを待つしかない。

30日 
4月29日と5月1日に半分ずつとられてしまった日となりました。