2002年9月

23日  近鉄1-0日ハム、M3(2001)
1日 野球9イニング、ボクシング24ラウンド、サッカー180分を視聴(2001)
昨日と同様にお経の冊子が配られ、坊さんから「6ページ。般若心経。」「65ページ」などと指示がある。 つまらない授業を聞いているような気分になる。いいかげんに終わってくれと思っていた矢先に 「それでは65ページ。あっ。やったっけ?」との発言があり、数人が堪えきれずに笑いがもれる。 葬式の雰囲気ではない。

坊さんが退場し、出棺となる。皆が葬式に集中し、葬式らしくなった。

帰りの車は坊さんの悪口大会となった。なんでもこの地方で曹洞宗となると必ずあの坊さんになり、 いつもあんな感じで不評(お経と話が下手で精進おとしの席へのドタキャンやその逆)で有名らしい。

中途半端な田舎であるこの地方では、葬式などに地域の組合のヘルプがある。 これは東京の実家の葬式ではなかったことである。組合の人が留守宅の番などをしてくれているので、 帰宅しても冷房が効いたままであり、なかなかよい。矢島家のルーツとなる田舎になると、 出棺時の並んで歩く順や手に持つものが十数番目まで決まっているようであり、 ある程度の間隔をおいて誰かが亡くなってくれないと、しきたりを覚えている人がいなくなってしまうそうである(父談)。

実はこの日、となりの家でも不幸があった。うちの爺さんが亡くなったことを聞いてから(このときは まだ元気であったらしい)、亡くなったらしい。これには誰もが衝撃をうけた。

2日  様々は敗戦について語り合う(2001)
京大野球部が立命戦に勝利して勝点を得る。
3日  竹内帰国(2001)
今日は東京の実家の裏に住んでいる父方の祖父の弟の奥さんが亡くなったそうである。 こうたてつづけにいろいろあるとさすがに嫌な気持ちになってくる。
4日  油江が研究室の話題を独占(2001)
夏期補習の授業があり、午後から仕事先へ向かう。後期の担当授業が明らかになり、 他の場所もあわせて16コマ/週となった(もう1コマ増えるかもしれない)。 頭で考えられる限り、このあたりが限界に近いのではないかと今は思えるが、 おそらく始まってしまえば慣れてしまい、それなりに対応し、 限界ラインはさらに上になるのだろう。手抜きして対応という事態だけは避けねばならない。

院試終了。バーベキューで打ち上げとなり、授業を終えて駆け付けたものの、ビールしか残っておらずやや残念であった。

5日  院試打ち上げ(2001)
補習2日目。4コマ連続のプログラミング実習用に用意した演習問題を半分の時間で片付けていく学生もおり、 なんで補習にまわされたのか謎である。
6日  蝿を鬱陶しく思う(2001)
この日も4コマ連続の補習の授業があるが、心は夜に飛んでいるようなところもあり、 申し訳ないかぎりである。もう二度とないことなので許して欲しい。

放送開始1時間前から携帯電話の電源も切り、4年間と少しの間 待ち焦がれた「北の国から」の新作かつ最終作を見る。 巷にあふれる番組に関する情報を可能なかぎり手に入れないように気をつけていたが、 スポーツ新聞の見出しで、今回の作品に内田有紀が出演するということだけは分かってしまっていた。 しかしながら他のことは何一つ知らなかったので、放送開始直後のここ4年を振り返るところで 受けた衝撃は大きかった。自分なりの予想としては牧場を維持できるかどうかあたりが話の核にくるのが 普通だろうと考えていたが、そんなことはもう2年も前にケリがついていたとは、、、 いつものテーマソングが流れて役者の名前が次々と画面に映される。 柳葉敏郎や唐十郎あたりが著名な新顔といったところだろうか。 しばらくして、嬉しい瞬間が訪れた。原田美枝子(涼子先生)が作品に帰ってきたのであった。 名を発見したときは思わず口に出して読んでしまった。連続テレビシリーズではかなりキーパーソン だったにもかかわらず、その後出番がなかったので、いつかはまた出てきてほしいと思っていた人である。

あっという間の2時間半。一体どうなってしまうのだろう。この作品の特徴として、 年末年始に不幸な事故や事件がおきるというものがある。 まだ雪が降る前からこの状況では、年末年始にどんな不幸があるのか想像もつかない。

7日 ×21年 植物物語BodySoapで髪を洗う(2001)
ついに最終回。長年思い入れてきた作品が終わるのは、 自分のこれまでの節目節目(入学やら卒業やら引っ越しやら)以上のものを感じる。 純が自分の一つ下で、蛍が妹と同じ年で、五郎が親父と同じ年。 我が家の家族が年をとった分だけ、テレビの中の黒板家も年をとっていく。 この現実世界では当たり前のことが、テレビの中でおきている。 黒板家も4年でいろいろあったけれども、矢島家もそれなりにいろいろあったとふと思う。

高村結の誕生日が放映日の翌日に設定されているあたりは心憎い。

8日  京大21-0近大(2001)京都2-0甲府(2001)高村結誕生(1974?)
京大28-0甲南ということで、まずは一安心。例年と同様に日焼けした肌が痛い。その後、買い控えていた「北の国から」脚本を購入。 ビデオを見る時間よりはるかに短い時間で振り返ることができ、これほど便利なものはない。
9日  花田勝報道を不思議に思う(2001)
本日はドキュメント北の国からの放送がある。実はこの番組は本来2時間であるのだが、 関西テレビがどうしても「えみちゃんねる」を放送したいらしく、ここでは1時間番組として放送されてしまうのは 悲しいことである。
10日  足のおもりを増量(2001)
大学にバスで帰ろうと京都駅のバスターミナルに向かうと、17系統と206系統が両系統共に 今にも発車しようという状態であった。17系統を選択して乗り込む。ターミナルを出る時は 私の17系統のすぐ後ろに206系統がいるという状態であった。両系統共に河原町七条の交差点を 通過するのだが、私の17系統が南北方向の信号待ちをしている目の前を206系統が 横切っている。烏丸と七条を通って、塩小路と河原町を通った私の17系統の鼻先を 勝ち誇ったかのように通過していったのである。 別の206系統がもう一台存在する(シーウルフ現象)パターンかと思ったが、 北大路バスターミナル止りのものがたてつづけにくるはずもない。とりあえず負けた。 真の勝負は百万遍の交差点なので、四条あたりで減速する私の17系統に心の中で声援を 送り逆転を信じることにした。その結果、百万遍の交差点では、信号待ちをする バスターミナル止りの206系統の目の前を通過仕返すことが出来た。 なかなかの好勝負であった。
11日  サンダルをを購入
実は今週中に健康診断にいかなくてはならないのだが、なんだかんだで行くことが出来ずにいる。 学生枠と同じように最終日は混雑したりするのかどうか分からないが、金曜日は避けたいものである。

昨日の僅差の争いを制して気を良くした私は、今日は5系統でのんびり帰ることにする。 京都駅を出て、ふとあることが気になりだした。 京都市バスは同系統がすれ違うときに運転手同士が軽く手をあげて合図を送る。 東本願寺付近のように中央分離帯が大きいときも、 同系統ですれ違ったら合図をおくるのかどうかが気になったのである。 ほどなく反対方向から5系統があらわれる。すれ違うときを注目していたが、 結果はお互いに無視であった。反対車線がどれだけ離れていても同系統のバスを発見して 合図をおくるシーンを見ることが出来た方が話としては面白いのだが、 どうやら安全第一らしい。

北白川のバス停付近では5系統と(5系統から化けた)17系統で合図を送るということになる。 この同系統近距離反対車線走行バスに送る合図の意味は一体何なのかが謎のままである。

去年の今日、サンダルを購入したらしいのだが、今履いているサンダルはそれではない。 一年持たなかった。去年の昨日に足のおもりを増量しており、履物の寿命の短さとは かなり関係がありそうである。

12日  後期授業の打ち合わせ(2001)
昼前にテレビをつけると画面で藤吉久美子が泣き崩れていた。別にこれといった目的もなくテレビをつけたので 次のチャンネルに移動すると、ここでもまた藤吉久美子が泣き崩れていた(法廷のシーンであった)。 かわいそうに思えてきたが、何度となく両チャンネルを往復して楽しんだ。 午前11時16分頃の出来事である。

気が付くともう何日もこのページを更新していなかった。 書く暇もないほど忙しいかというとそうではなく、書き始めるとなぜかメールが届いたりするなどして、 書いていたことを忘れてしまっていただけのことであった。どの日の分も少しずつ書いてあって途中で 終わっている。

結局今日も健康診断には行かず、明日の最終日に行かねばならなくなった。

13日  新サンダルと足の裏との相性に悩む(2001)
夕食時、店において二人の店員が会話をしている。 話題はというと小学校の行事や音楽の時間に何を歌ったかということ。 話が進んで、「蛍の光」の話題になったとき、 姉さん格の店員が妹分に「蛍の光窓の夕日」という間違った歌詞を教えていた。 それを聞いた妹分は「そうなんですか!私ずっと『窓の雪』だと思っていました」と言う。 この妹分の発言、姉に対してさりげなく間違いを指摘してあげるものだったのか、 本当に姉の言うことを信じたのかは謎であるが、こちらとしては気になって仕方がない会話であった。 大学への帰り道は、子供のときに勘違いしていた童謡の歌詞に関する話題となり、なかなか盛り上がった。

大学に戻ってGoogleで「窓の夕日」をキーワードに検索してみたところ、同様の間違いをしていたことのある 人は他にもいることが分かった。楽しくなってきたので、「勘違い」と「童謡」をキーワードにして 検索したところ、「秋の夕日に照る山紅葉小芋薄芋〜」のような傑作も発見した。

この手の勘違いとして有名でネタになっているものとして、巨人の星のオープニングテーマにある 「思い込んだら」→「重いコンダラ」というものがある。その部分を歌っているときに、 ローラーを引くシーンが流れるために、ローラーのことをコンダラという名前の物体だと勘違いする人が 続出したという説がよく語られているのだが、この説は間違いである(多分と絶対の間くらい)。 私の記憶では「オモイコンダラ」と歌っているところで流れている映像は親子でのランニングシーンか ノックのシーンである。あの歌は打球音3つ(星、花形、左門)、走ってスライディングする音(星?) 、歓声、の後にイントロが始まり、高校生くらいの主人公の投球シーンが何回か角度や気象条件を変えて繰り返されたあとで、 子供のころの特訓シーン(ランニング、ノック、ウサギとび)となる。この部分で明子姉さんが泣きながら見守る。 子供から成長して花形と対決し、三振にきってとり伴と喜ぶ。そして虹に向かって走っていくという流れである。 イントロから歌詞のあるところにかわるあたり、つまり「オモイコンダラ」の部分は丁度子供のころの特訓シーン になるはずであり、ローラーを引いているシーンであるはずがない。そもそも歌の中にローラーを引くシーンが あったころすらあやしい(記憶にない)。おそらく芸能人がネタとしてどこかでしゃべって、 皆が信じそうでかつ楽しい勘違いの原因をつくり、その話が一人歩きしていると思うのである。

と、ここまで書いてからふと考えると、あのアニメはエンディングも同じ曲だったはずである。 映像は動画ではなく紙芝居的なものであり、作品中では1回しかない 父ちゃんがちゃぶ台をひっくり返すシーンが有名なのは、その紙芝居の中にその絵があるからである(多分)。 コンダラ場面の有無に関する真実もエンディングに隠れているのかもしれない。再放送時にはエンディングが省略されたことが 多かったと記憶している。

14日  雨に悩む(2001)
神戸にて研究会のフォーラムに参加。現在の小学校の教科書を見て、 自分の小学校時代のものとの大きな違いに驚いた。 小学校の国語の教科書からは物語的な読み物が大幅に削減されており、 国語の教科書はその学年にふさわしいと思われる物語が集められた本であるという時代のものと 比べると全く違うものになっていた。小学校5年の国語の教科書では、 発表の仕方に関する記述が非常に多かった。論理的に正しい文章をつくるための助詞の使い方や、 発表方法そのものに関する注意方法が書いてある。個人的には好印象を持った (国語の授業嫌いの理科系人間には嬉しい教科書ではないだろうか)。小学校5年の 社会の教科書には"ポスターセッション"という言葉があった(私がこの言葉を知ったのは23歳のときである)。 グループごとに調べ学習をしてポスターセッションで発表するのである。 授業の多くの時間を昔でいうところの自由研究の時間にあてているような印象を受けた。 どの科目にも共通していることは、学校の授業においては、 集団で一ヶ所(教室)にいるということを活かしたことをしましょうということである。 発想としては理解出来る。 逆に言えば、一人で本を読めば出来ることに関しては家庭および本人の自主性に任せるということであり、 その結果どういう子供が育つのか想像することはなかなか困難である。
15日  京大10-0大産大(2001)秋のシーズン突入決起集会飲み会(2001)
神戸でのフォーラムを終え、京都に帰る。

この秋の予定を見ると、週末行事がなんともまあ絶妙にばらけており、断念しなければいけないイベントがほとんどない。 素直に喜ぶべきことなのだが、少しくらい日程的に重なって何かを断念しなければいけないことになった方が、 金銭的にも身体的にも楽なので、それを望む気持ちも多少ある。

16日  日大の勝ち逃げを残念に思う(2001)
宝が池球技場にて関西学生アメリカンフットボールリーグ京大vs神大を観戦。京大16-13神大で勝利。 詰めを誤り、猛追撃を受けた。結果的には何点差であろうと勝ちは勝ちなので問題ないのだが、 私の周囲の観戦者も指摘していたが、ちょっと早く余裕を見せ過ぎた印象がある。
17日  宇宙研に出張(2001)
予想よりも強い雨の中を仕事先に向かう。といっても授業があるわけではなく、 単にシラバスをアップロードするだけのことである。京大からでも可能なのだが、 書いているときに疑問が生じることはよくある話なので出かけることにした。 ついでに買物もできる。

「北の国から」音楽CDを購入。これまで持っていたものに3曲(1曲×3アレンジ)加わった だけのものなのだが、新たに加わった曲がすばらしいので、満足度はかなり高い。 夏に稼いだお金はかねてからの予定通り、「北の国から」費にあてるのだが、とりあえず 安いものから順に購入しているあたりが思い切りが悪くてよくない。

18日  
後期からの新しい仕事場である長浜で初授業。 学生がうるさくて楽しい。どことなく雰囲気は京都造形のときと似ている。 これまでの仕事場は全て近距離であり、何かやるべきことを忘れたとしても 授業のない日に訪問して片付けることが可能であったが、長浜ではそうもいかない。 授業のある日にしか訪れることが出来ないというこれまでになかった制約に なれるのには多少時間がかかるかもしれない。

冷房を使うことなく外気をとりこむことで涼しい季節となったのだが、 そのためかどうかコーヒー1杯を飲む間に足首や足の甲や踵など4か所ほど 蚊に刺され、作業への集中力は著しく落ちているが、この季節限定のイベント としてそれなりに味わうのがよいだろう。

19日  9.24の大阪ドームのチケットを押さえる(2001)
後期の授業が昨日の長浜から始まったのであるが、他のところはまだもう少し遅い。 しかも打ち合わせは授業開始3日前というような場合もあるので、仕事自体がどの 程度のものになるのかもよく分からない。学生は科目全体の終着点がどこなのかを 早く知りたいものですが、今聞かれても答えられいというのが現実。 もう1週間くらい早く打ち合わせがあってもよさそうなものである。

電動歯ブラシを購入し、楽さと心地よさにはまる。

20日  駅の券売機で遊ぶ(2001)
これから移動時間の多くなる日が増えることを考えて、携帯MP3プレーヤーを購入。 以前購入したMP3対応CDプレーヤータイプのものは、電池では動かなくなってしまっているので なんとかしたいと思っていた。操作性にはやや不満があるものの(あのくらい小さいとボタンつける 場所がない)、かなり満足である。
21日  トラブルの特異日に何もおこらず一安心(2001)
仕事先で後期の授業の打ち合わせ。私にとってはあまりに直前の打ち合わせなのだが、 ベテランの人たちはこれまでの蓄積があり、どうとでも対応がとれるだけの準備が出来ているように見える。 とにかく今は私も蓄積が欲しい。

京都2-1神戸(延長)という結果をWebで確認し、一安心。 このチームに負けると、過去の京都に負けたような気がしてかなり嫌な気持ちになるところであったが、 そうならずに済んだ。一時期の異常な観客数もやや落ち着きをみせてきたようであり、 そろそろ生観戦を考えるのにいい時期といえる。

プロ野球パリーグは西武が優勝。去年までのパリーグは、このチームが優勝していいものかと疑問を持ってしまうくらい 欠点が多くてバランスの悪いチームが優勝していたが(去年は嬉しかったのですが、普通に考えたらあのチームが優勝 するのはおかしい)、ようやく皆が納得する強さを持ったチームが優勝したというところだろう。

22日  京都へ帰る(2001)
家の近くのラーメン屋にて、スポーツ新聞を読む。過去に西武が優勝した年で昨日のように 他のチームの結果待ちであった場合についてまとめてあった。当然のごとく88年の10.19に関する記事がある。 久しぶりに有藤を思い出していやな気分になる。セカンドへの牽制球が悪送球と判断して飛び出したランナーが 実はショートがキャッチしておりタッチアウトとなったプレー(単にランナーが間抜けなだけ) に対して走塁妨害の抗議をするという時間延ばしの確信犯的な行為であった。 スポーツニュースでは、連日のように西武を破る千葉ロッテを胴上げキラーと評価していた。 今年に限らず優勝間近のチームに強さを発揮しているようなのだが、 過去には上記のような愚行もあったことを指摘せずにはいられなくなるのであった。
毎週のように連休があるが、セメスター制のため未だ夏休み中のところもあり、 有り難みはあまりない。
24日  ローズ55号、中村紀サヨナラ2ラン、M1(2001)
本日から後期開講となる仕事場へいく。授業ファイルのアップロードをしたのち、 お気に入りの食堂に午後1時30分に到着。これまでほんの数分の遅れで食べることの多かった人気メニュー はあきらめていたのだが、この日はこの時間でも食べることが出来た。

長尾が遊びにきた(もちろんきちんとした用件もある)ので、8人ほどで飲みにいく。 話が面白いようにまわる中、時折その回転を止めることもあるのだが、 長尾がいるためかまたすぐに回りだすのであった。 後半はやたら眠くなり、2次会会場につくなり眠りに入ってしまった。

Webには巨人優勝の文字があるが、その日の巨人の試合結果に関する情報がない。 実はまだ試合中であったらしいのだが、単に並んだ見出しだけを見ていると分かりにくいものである。

秀逸なコラムを読んで鳥肌がたった。

25日  前の日のメモ帳書きにハマる(2001)
午後から長浜で授業。何回か通っているうちに、最初は遠いと感じていた場所も近くに感じるようになってきた。 ここでもコンピュータ操作教育をしているのだが、高校卒業までのコンピュータ操作経験のある学生は年々増えて きている。教室の設備がやや寂しく、学生2人にパソコン1台という構成なので、学生を2グループにわけ、 初心者の隣には多少扱いのなれた学生が座るようにしている。初心者にとってはとなりに先生が座っている ような状態であり、システムとしてはうまく機能しているようであるが、私の出番自体はほとんどなく、 また隣の人に教えているのみならず単に世間話で盛り上がっている場合もあるので、教室の雰囲気は これまでの一人一台の場合とかなり違うものになっている。
26日  代打逆転満塁サヨナラホームランで近鉄優勝(2001)
朝から授業。1講時目と2講時目の間に建物移動があり、これが結構時間がかかる。 2講時目にはどうしても遅れてしまうということになるだろう。 2講時目終了後に食堂へいく。お気に入りメニューの中華弁当のサンプルがちょっとよそ見をしているうちに 撤去されており、わずかの差で逃してしまったことが判明した。変わりに焼肉弁当を食べる。 全メニュー制覇にはわずかながら近付いた。
27日  スポーツ新聞を収集(2001)
朝から授業。今日は1講時目と2講時目の間に隣の教室に移動するだけなので楽である。 昼休み後に食堂に向かい、奇跡的に中華弁当を手にする。私が最後であった。

前期と後期のコンピュータリテラシー実習は原則としておなじ担当教官が持ち上がり となるのであるが、前期に私が担当していたクラスのうちのひとつは持ち上がりと ならなかった。時間割の編成上の問題であると思っていたのだが、私が授業のない 3講時目に、私が前期に教えていた学生が実習を受けている姿を発見して複雑な心境におちいる。 これは外されたということですか?このあたりはよく分からないが、 ドアの影からこっそりと見守ってしまう姿は、小学校の運動場で遊ぶ教え子を見る 幼稚園の先生か、子離れできない親のような感じである。

28日  学生がノートパソコンの設定に苦しむ(2001)
ツイドラキ急死というかなりショックなニュースがあった。トヨ自vs神鋼の数々の名勝負の中で華のある活躍をしてきた 好きな選手である。

携帯MP3プレイヤーが再生出来ず、単なるUSB128MBメディアとなってしまう。 Webでいろいろと調べてみたところ、初期不良の多い商品であったらしい。珍しく衝動買いに近い買い物をしてしまった わけだが、いつもの慎重さを欠いたつけがやってきたといえる。自分のペースを見失ってはいけない。

29日  京大が神大を完封(2001)
宝が池球技場で京大vs大産大を観戦。とりあえず京大30-10大産大で勝利。その後、観戦メンバーで結成10周年記念飲み会となる。 祇園小唄を初めとする歌と踊りに心を奪われる。日本人で良かった。京都にいて良かった。

ベルリンマラソンとJリーグ京都vs広島を録画しておいたが、サッカーのみ再生。 ほぼ全ての時間帯を京都が支配し、余裕の勝利であった。

30日  高橋尚子女子マラソン世界最高記録を樹立(2001)
今月は様々な月末処理を忘れていたので、そのあたりの処理を日中にこなす。 夏の稼ぎが入金されており、それなりに嬉しい。 夏は比較的楽な仕事が多かったことを思い出すが、明日からは全ての場所での後期の授業が出揃うこととなる。 とりあえず体重増量プランは計画以上に成功(要するにやや失敗ということ)したので、あとはこのラクダのこぶで乗り切ることができるだろう。