2002年11月

1日  西部食堂およびルネのOB・OG会の場所や時間を決定(2001)
学祭シーズンということで、授業はお休み。 嬉しい時期に連休があるものである。

目が覚めると松井の記者会見が行われており、メジャー移籍決断とのこと。 メジャーに行ってくれるものと信じていたので、この決断を聞いてほっとした。 「慰留失敗」などと書く記事もあるが、ここ一年くらいの説得でどうこうなる 問題ではないはず。

2日  久しぶりに造形大へ(2001)
野球の早慶戦を少しだけ見る。昔はこんなもの見ても、 (噂の早慶戦も)この程度かと小馬鹿にしていたものだが、 京関戦の観客(特に学生)の減少を考えると、羨ましく思える。

長尾が遊びに来ており、飲みにいく。

3日  京都は新潟に延長勝利(2001)
最近はいろいろな大学に行くことがあるが、やはり京大慣れしてしまっている こともあり、駅からバスで山登りをする大学が遠く感じるものである。 もっとも登った先からの景色はすばらしく、その点に関しては羨ましい。
4日  珈琲豆を買ってきたら長尾も買っていたことが判明(2001)
連休によって出来た時間的余裕は全て睡眠時間となっている。 少しくらい授業準備をすれば、先の展開が楽になるはずであるが、 ここで睡眠を選ぶのは仕方のないことであろうと、勝手に納得する。

夜は大石達が久しぶりに遊びにきた。

5日  談話会発表(2001)
学祭の後片付けの日ということで、午後の授業が休みであるのはありがたい。 最近、バスや電車や研究室のソファーに座ったときにはほぼ間違いなく眠ってしまうような 状況であったが、この連休と学祭による休みはかなり絶妙の時期にやってきたように思う。

午後が空いているので、買い物をある程度まとめてする。

6日  火曜日の休講の少なさをやや残念に思う(2001)
朝寝坊をすることが多く、今日もまたしかりであった。バスと地下鉄のあわせ技で仕事場に向かう。 最近よくあるパターンである。単に遅刻を避けるために(かなり余裕をもって着くために) していることだが、バスに乗る時間が圧倒的に短くなるので、バス嫌いには本来の目的以上に嬉しいことがある。 かわりに払う金額も片道でほぼ倍になるのだが、やや癖になりそうな気持ち良さと時間的余裕である。

午前の授業が終了する鐘が鳴ってから18分後に京都駅を出発する電車に乗らないと午後の授業には 間に合わない(11月限定)。一本乗り過ごすと30分の遅刻であるから、かなりのプレッシャーを感じる。 先週、予行演習をした際には、かなりの時間的余裕があると感じたのだが、乗り遅れてはいけないという ことになると、同じ3分前にホームに到着とはいっても、感じ方はなかなか違うものである。 午後2時から長浜で授業。授業を終え、いつものように新快速で帰ろうと長浜駅に到着すると、 本来ならば播州赤穂行の新快速がとまっているはずのホームに米原までの普通列車がある。 どうも東海道線架線事故につき、米原ー野洲間が不通になっているらしい。 また、嫌な時間に嫌な場所が不通になってしまったものである。 仕方がないので、米原までいって新幹線で京都へ。同じことを考える人は当然のように多数おり、 米原駅の新幹線改札はちょっとした混乱模様であった。ホームにおりた多くの人が 1号車から5号車の間に並ぶ。この日ホームにいる人間は、 基本的に「ひかり」しか乗らない人が多いので、ついつい習性でそこに並んでしまうのである。 しかしながら到着する列車は「こだま」。あちこちに自由席がある。 後ろの方に並ぶ客はおらず、さらに到着した「こだま」車内は閑散としており、 余裕で座ることが出来た。思わぬ事態にやや嫌な気持ちになったが、 結果的には損することなく終わり、多少運はいいのではないかと考えたりする。

授業のアンケートの感想欄に「部屋が寒い」と書く学生が徐々に出現してきた。

7日  サッカー親善試合日本vsイタリアを2時間遅れで録画再生(2001)
実はほとんど触ったことのないソフトを授業中に操作することになることもある。 まあこうすれば出来るだろうという思い込みで試したみた操作にはまってしまうケースもあり、 本日がまさにそうだったのだが、先生がとまどっていても学生はいろいろと勝手に遊びながら操作を完了させていたようである。 何のために自分がそこにいたのかよく分からなくなり、やや落ち込む。

お気に入りの食堂で久しぶりに中華弁当を食べることが出来た。最近、ますます食することが難しくなっているように思うのだが その原因はよくわからない。

ある味覚がそのままその人にとって「美味しい」という感覚にとってかわっているのではないかと思う人がいる。 この人が「美味しい」といったときには「辛い」という意味であることが多いのではないかと思う。 「とても美味しい」=「とても辛い」である可能性が高いので気をつけなければならない。 卓上に取り放題のキムチがある店がたまにあるが、この手のキムチは辛くて普通の人は大量に食べることが 出来ないものである。これを苦もなく食べるというのはなかなかの強さである。 もっとも「辛い」=「美味しい」はまだいいほうであり、「量が多い」=「美味しい」という感覚の人も かつて身の回りにいた。この人の推薦する店にいくときはそれなりに覚悟しなければいけないだろう。

8日  運転免許更新(2001)
いつもの食堂にいいメニューが見当たらないので新食堂に挑戦。 客の平均年令が若く、やや居辛さを感じる。 食堂のしきたりを知らず利用しているわけであり、 食後の食器の処理の見本を示してくれる客があらわれるまでは不安であった。 やはりいつもの食堂の方が、メニュー,居心地ともによさそうである。

学生から授業後に回収するアンケートは、学生が急いで書いていることもあり、 漢字の間違いが多い。同じことを書こうとして異なる間違いがあった。 「今日は全回の復習をしてくれて助かりました」と 「今日は次回の復習をしてくれて助かりました」。 前者は時間的に不可能。後者はどう考えても不可能。

9日  連絡をとりたい西部食堂卒業生となかなかとれず(2001)
最近はあまり睡眠時間が確保できず、あらゆるところで束の間の睡眠をしている。 電車、バス、ソファーのように比較的快適に眠ることができることもあるが、 全く予想もしない場所で眠りについてしまうこともある。 昨日は昼休みに教卓のパソコンのマウスを手にしてクリックしようとする直前に眠りについてしまったようである。 「考える人」ならぬ「クリックする人」のポーズでしばらく固まっていたということであり、 誰かに見られていたらかなり間抜けであったはずである。おそらく誰も見ていないと思うが、、、 本日は研究室で作業をしていたが、時計を見るたびに思ったより時間が経過しており、 どうやら気が付かないうちに何度か寝ていたようである。 目が痙攣したかのようにピクピクしはじめたので、これ以上の作業は無駄と考え、帰って寝ることにする。
10日  京大41-0甲南(2001)京都がJ1昇格(2001)
京大6-14関学。対KG4連敗である。昔は一つ負けるだけで何もする気がなくなるほどのショックであったが、 最近やや負け慣れてしまった感がある。思ったよりよくやったで満足してしまうのは、いいことではない。

NBAはオラジュワンが10日に引退式を行うようである。 はじめて下宿でBSを見ることができるようになった年が、まさにジョーダン最初の引退の翌年であり、 当時ロケッツに所属していたオラジュワンはどうみてもNo.1の選手であった。 NBAをよく見ていたのがロケッツが頂点にたった 2年と一致しているので(それ以降見ていない)、個人的な凄い選手リストの一位がオラジュワンから かわることはこの先おそらくないだろう。かなり寂しいニュースであった。

11日  京都がJ2優勝決定(2001)西部食堂およびルネ卒業生飲み会(2001)
かなり長い睡眠をとり、すっかり元気になった。
12日  メモ帳更新開始(2000)京大18-0関学(1995)
仕事先の食堂で食事中のところを発見されたようである。というより学生からそのような報告を受ける。 造形で授業をしていたころというのは、1週間でたかだか40人の学生を見ていただけであり、 一か月もすれば全員の顔と名前が一致したものである。 今はその10倍以上の学生を見ているため、顔と名前の一致どころか、顔すらわからない。 どこかで学生とすれ違っていても全く分からないケースの方が圧倒的に多い。 一月ほど前に、近鉄プラッツにて学生らしき人から会釈されたが、そのときも全くわからなかった。 一人一人への進度の把握なども造形時代のようにはいかず、このあたりはやや寂しいことである。

サッカーマガジンにJリーグの各チームのベンチメンバーに、ユースからの生え抜きがどのくらいいるかを 示したデータがあった。京都は20%を超えており、育成がうまくいっているチームのひとつとして 扱われていた。2年ほど前からは想像もつかない嬉しい事態である。

13日  著者誕生(1970)京関戦初勝利(1976)涙の日生(1977)
準備に手間どったため寝る時間がなくなってしまい、朝早く家に戻り身支度を整え、そこから仕事先に向かうことになった。 到着したのは授業の3分前、あと一本バスが遅ければ完全に遅刻であった。授業終了後、足早に 京都駅に向かい、新快速発車3分前にホームに到着。慌ただしい展開である。長浜までは熟睡。

学会中のため、研究室に人は少ない。久しぶりに3研睡眠を敢行。

14日  ノブ南極へ(2000)講座の教祖様誕生(1972)
先日はじめて利用した食堂を本日も利用してみることにした。やはりいつもの食堂の方が、私にとっては居心地は 良いように思う。少し離れたところに座っていた学生が、京都サンガの話をしていたことが判明(中払ファンのようである)。 こんな人が多ければ西京極もさらに人が増えるだろう。
15日  町田部屋へ連行される(2000)
仕事先のコンピュータ関係の授業は先生とTA(Teaching Assistant)とSS(Student Stuff)によって 行われている。一番人数が多いのは先生であり、次がSS、一番人数が少ないのはTAである。 TAは多くの先生やSSと一緒に仕事をしているわけであり、最も学内のコンピュータ授業関係者をよく知っている人である。 今日の1講時のTAと2講時のSSが実は他の授業では一緒に仕事をしていて知り合いだったというようなことがあり、 このあたりがなかなか微妙な人間関係である。2講時目のSSはベテランであり、どうも難解な授業ばかりを 担当させられているらしく、一通り不満(軽い愚痴)を聞くことになった(話としては面白いものであったが 本人は笑えない状況である)。少しでも楽をさせてやりたいと思うものの、この2講時目の授業の内容を 考えるとそうもいかず、こちらとしては応援するしかない。

今年度後期は週16コマ授業担当体制なのだが、実は月から金まで16コマ全て授業をしたのは今週が初めてであった (火曜〜月曜で16コマというような場合はもちろんある)。 祝日、学祭などの学校行事、学識経験者活動などによるお休みおよび休講が毎週何かひとつはあったのである。 16コマあれば、何かしら休みになるものがあるものである。確率の積の法則を身を以て体験。

16日  フランスW杯アジア第三代表決定戦日本3-2イラン(1997)
京都0-3磐田というつらい現実。いくら朴と手島と角田がいないとはいえ、 黒部と松井と富田と鈴木慎とミニラと石丸と斉藤と中払と鈴木和と平井がいるので、 もう少しなんとかなるのではないかと思っていたが、やはり厳しい。

C大阪がJ1復帰。

17日  京大21-17立命(1991)
先週は何もイベントがない(祝日、休講、特殊業務なし)という、逆に珍しい週であった。 16コマの授業を終えてふと思うことは、90分×16=24時間=1日 ということ。こう考えると別にたいしたことなくて、 疲れている場合ではないという気になるのは数字のマジックというものであろう。

ラーメン、焼肉と立て続けに食し、大幅増量をもくろむ。

Xリーグのアサヒ飲料と鹿島建設の試合は最後の方しか見なかったが、アサヒ飲料の圧勝に終わった。 日大の凋落の象徴的なQBがパスをインターセプトされていたが、そのDBがQBの同期の日大最後の使える選手 というのは皮肉な話である。

18日  仙台がJ1昇格を決定(2001)
プログラミングの授業中に配列の例をあげるときに、とりあえずint a[5];などと要素の個数を 5にしてしまうのは、おそらく細川の影響であろうと思われるが、その配列の初期値を int a[5]={10, 8, 2, 3, 6};などというようにまん中を小さく、両端を大きくしてしまうのは このような並びの数字がかつてテレビで週1回連呼されていたからであろうと思われる。

星野勘太郎の台詞がごく一部で流行の兆しをみせている。

19日  曙優勝(2000)
午前3時頃にメールを送った相手から、「獅子座流星群見るために起きていたのですか?」 という返事が届き、まだ今年も見ることが出来る可能性があることを初めて知った。 そういえば毎年この時期だったような、、、。

昨日、基本情報技術者試験の発表があったようであり、嬉しさを隠しきれずに報告にくる学生もいる。 この学生、授業終了30分前に教室に現れて、報告して帰っていった。 相当嬉しかったのだろう。おめでとう。一方で、アンケートに「授業とは関係ありませんが、 試験に落ちてしまいました」と書いてくる学生もおり、教室内の明暗がくっきりとした一日だった。

20日  京大30-28関学(1983)
長浜での授業中、何故か分からないが単語カードを見て必死に覚えようとしている学生が少なからずいた。 パソコンが学生2人に一台なので、パソコンに慣れた人が初心者に教える形で授業は展開されており、 教室内は他の授業とは比較にならないくらい賑やかなのが常であるが、この日は明らかにパソコンでは なく、違うことを教える姿や、小規模勉強会が展開されていた。話を聞いてみると、この授業の後で 試験があるらしく、しかも一度落ちた人の再試験で落とすことが許されないものらしい。 さすがにこうなると、パソコンの授業などは優先順位の問題で消し飛んでしまうのも仕方ないことであろう。 まあ、パソコンの方は来週以降頑張ってばん回してください。
21日  イチローがア・リーグのMVP(2001)初の単独優勝京大17-7関学(1982)
午前の2コマは放置授業。学生にやらせておくだけという楽な展開にした。 これであとがつらくなる。

結局のところ、あらゆる授業準備の借金の返済が一度にこないようになんとかやりくり している状態で、各授業ごとの通帳が引き落とし日にマイナスにならないように体力を 分配しているのである。

久しぶりに中華弁当を手にすることができた。丁度、盛り付けておいた分がきれたところであり、 また10人分ほどの盛り付けが開始された。そして、この弁当をつくるのにかなりの手間がかかって いることが明らかになった。各種盛り付けは、流れ作業ではなく一人で盛り付ける。 しかも小物が多いので、グローブを10回以上交換しながらの盛り付けとなるのである。 どうせ売れるのだからもっとたくさん用意して欲しいという思いも、現場からすれば現状が限界であることがよく分かった。

週末恒例の右目ピクピクが始まる。

22日  京大24-14関学(1987)
午後5時までに書かなくてはいけないメールを夜中に仕上げ、授業にのぞみ、 午後からソフトボール大会に途中から出場するプランであったが、 夜中にどうにも目があけられなくなり、その時点でソフトボールは諦めである。

言い回しの問題で、結果的に学生に解釈が2通り出来る指示を出していたようであり、 授業終了後に他のスタッフに指摘されるまで気が付かなかった。 やや落ち込むものの、昔に比べて落ち込み具合が減っているのは、 度胸がつき、多少雑になり、なおかつ疲れているために自分に甘いからだろう。

聞くところによると、ソフトボールは圧勝だったようであり、 参加者は試合終了後から懇親会にかけて楽しくお酒を飲んでいる。 その後、2研に測地の人たちをゲストに招いて(二穴が招待する) 久しぶりにアホなプランで話を進める。この研究室の最大の売りはやはり 学生の数によるマンパワーであることを改めて確認する。

23日  京大21-10関学(1992)必勝祈願参り(2001)
完全休養。甘いものは別腹のごとく、遊びは別体力という信念で生きてきたが、なかなかそうもいかなくなってきたことを痛感する。
24日  京大35-7関学(1986)プレーオフ京大23-30関学(1991)京大48-27立命(1996)池田披露宴(2001)
何やら警官をよく見る日である。世の中暴れたい人が多いのだろうか?

大方の予想とおり、立命館がKGに圧勝したらしい。関東では法政が負けたらしく、 専修と早大の勝者が甲子園に出場することになっている。早大が勝って、多少注目を浴びた甲子園ボウルになり、 史上最多得点差で立命館が勝利するあたりがせめてもの慰め的な展開といえる。

25日  GANGSTERS最終戦(2000)
予想以上に準備に手間どり、ほとんど寝ることなく授業に突入する。 学生に解説する前に、プログラムの動作確認をしておこうと思い、 学生に作業をさせている傍らで、オンラインテキストのソースコードをコピー&ペーストで実行をこころみるのだがうまくいかない。 大量のエラーメッセージが表示される。原因は、マウスをドラッグしている途中で寝てしまっていることであった。 マウスボタンを押さえて動かしたそのときに眠りに入ってしまい、気が付くととんでもない広範囲を選択していることになっている。 どこでも眠るようになってしまったとはいえ、こんなことではいけない。
26日  京大3-3関学(1989)京大7-3立命(1995)
今週末から3週間ほど仕事がひとつ増えることが判明し(前から分かっていたことを改めて認識し)、 不安である。夏頃の予定では、この時期にはもう後期の授業体制に慣れ、「さあ、次の授業かかってこんかい」 という状況になっているはずであったが、かなり予定とは違う状況である。来週の水曜日の長浜休講と 木曜日の午前中の休講があるのが待ち遠しい。
27日  地球物理ソフトボール大会制覇(2000)京大21-0関学(1994)
いつものように眠りについたまま長浜に到着。ついてもしばらく目が覚めず、 帰路の新快速の乗客の少ないうちに車内で食事を済ませるのが常であり、今日も駅前で車内持ち込みの夕食を探す。 入口でケーキ販売のタイムサービスがあり、慌てて買い込む。2個100円。自分の食事の分だけではなく、お土産用も 購入しようと試みたが、電車の発車まで時間もなく、箱への詰め込み作業も思いのほか時間をとるので、自分の食事用のみ 購入。車中で食べるのをためらった結果、京都までお持ち帰りとなった。夕食は4つで200円。考えてみると朝飯なし、 昼はチョコウエハース100円分、であるからお菓子しか食べていないことになる。子供の頃にやりたくても出来なかったことが やりたくなくてもやってしまうことになっている。
28日  栃東の大関昇進が正式決定(2001)
前日に買い込んでおいたケーキ4つが朝食となる。冬場になり、前期と比べて甘いものや脂っこいものをよく食しているように思う。 前期はプレッシャーを感じると食欲がなくなっていたのだが、後期は逆にお子さま向けの食事をする傾向に向かっている。 どちらが健康的であるかは疑問だが、食べずに痩せていくよりは、ラーメンなどを食べて肥えていくほうが自分らしいともいえるだろう。
29日  授業の午前午後格差問題に悩む(2000)
午前の2コマ目の授業は、難解プログラミング入門とでもいうべき授業であり、1週間でもっとも気が重くなる授業であったのだが、 テキストの途中から方針変更があったようで、今日からはプログラムソースに引きずられることなく授業が展開できる。 学生からの感想も、授業内容を理解できたというものが多かったが、一人だけ、いつもよりも難解であったという記述があった。 これまでの他の学生にとって難解であった授業の感想欄に「分かりやすかった」と記述していた学生であり、 プログラムソースを読むことの方が(アルゴリズムの概念的な話よりも)理解出来るという人はやはりどこにでもいるものであることを実感する。

斉藤さんのお祝いがあったのだが、いつもの金曜日と異なり、明日に授業を抱えた金曜日であったので参加出来ず。 最近、この手のイベントを欠席してばかりであり、なんともいえず残念である。

スポーツ新聞に学生アメリカンフットボールに関する記事があり、関東で早稲田が勝ち残っていることに触れていた。 それを読んで思い出したのだが、今春、早稲田は関学と試合をしているのである。春の時点では珍しい対戦カードである という認識でしかなかったのだが、その記事によれば、実は早稲田が関学からいろいろ学ぼうとして合同練習やら試合やらをお願いしていた ようである。「手本にするならば関学」というのはここ数十年の学生アメリカンフットボールの真理なのだろう。

30日  京都パープルサンガが三浦知良に戦力外通告(2000)4号館地物関係者で共同ゴミ処理作業(2001)
いつもならゆっくりお休みの土曜日であるが、本日は授業がある。公務員試験対策講座数的処理の授業に岩倉へ向かう。 生徒は5人。これで他のところ以上に時間当りの単価がいいのだから、その仕組みたるや謎である。 というわけで今週は自己新記録を更新した。週18コマ授業。20の大台も見えてきたが、これ以上記録をのばすつもりはない。 「社会学」の担当を打診されるが、了承すると、私も学生も雇い主も皆不幸になるので当然断る。

J1京都は最終戦。市原を相手に3-2で勝利。強力3トップがそれぞれ点をとるという盛り上がる展開だったようだが、 本日締切のシラバスを書かねばならず観戦に行くことは出来なかった。噂とおり朴が抜けるというのであれば、 見にいかなかったことをかなり後悔することになるだろう。