2003年4月

1日 最寄りコンビニが改装再オープン(2002)
新年度。所属が変更となりました。といいつつこのページを更新しているわけですが、よろしいでしょうか?>京大の皆様

昨日案内の来た辞令交付式およびオリエンテーションに出席。 なぜか番号が1番(大学→幼稚園順、学部設立年古→新順、新任教員の年令高→低順、による)。 生まれて初めて「以下同文」なしで全文読み上げられ、多少嬉しい。 その後の自己紹介なども全て1番目というのはやや困ったが、たまにはこういうのもいいだろう。

野茂が開幕戦完封勝利。 日本人有名選手がメジャー挑戦で注目される年には必ずその存在を世間に再認識させる仕事をする。

2日 実家に閉じ込められる(2001)
朝から春高バレー3回戦大阪国際滝井vs淑徳を視聴。淑徳には全日本ユースにも選ばれているアタッカーがおり、 放送する側としてはどうしても活躍して勝ち残って欲しい選手である。放送の随所にその強い意志を感じた。 大阪国際滝井は大砲以外の全てを兼ね備えたチームであり、選手層が厚く、試合中にセッターを1人から2人に 変更出来るようなよく鍛えられた好チーム。サーブでくずして相手の大砲をほぼ無力化し、 セットカウント2-1で大阪国際滝井が勝利し、ベスト8に進出した。

久しぶりにルネバイトの掲示板をのぞいてみると、4月1日からバイトの勤務時間が11時までになるという 書き込みがあった。エイプリルフールの一種かとも思ったが書き込まれた日付けは3月29日である。 ルネが午後8時まで営業になり勤務時間が午後9時までになったときにも、 仕事後の遊び時間の短縮に不満を感じる人が続出したものであり、午後11時になったら辞める人が 続出するのではないかと心配になる。自宅生の中には終電に間に合わない人もいるだろう。 真相が気になる。ルネの営業時間がさらに延びたのだろうか?

3日 京都へ帰る(2001)
本日は入学式。その後で父兄との懇親会があった。教員のネームカード(新任で用意できてなかったので手書き) をつけて歩いていると、予想以上に父兄からの大学に関する質問がくる。 やはり自分の子供の通う大学は気になるのであろう。

アメフト観戦チームで、スウェーデンに旅立つ男の壮行会を行う。 上七軒振興会スウェーデン支部での活躍を期待している。

4日 研究室花見(2001)
本日も朝から春高バレーを視聴。すでに結果の分かっている(大阪国際滝井の負け)試合であったが 相手には中国からの留学生や10年に一人の逸材と紹介される全日本ユースのメンバーもおり、なかなか 盛り上がった試合であった。今年はベスト8。一度くらいはうまいこと学会などが重なって 全国大会の応援に行きたいもの。

夜は昨年度の私の授業のお手伝いをしてくれた人たちと梅田で飲み会。 まさかの2日連続中華料理となる(別に好きなので問題ないのですが)。

5日 野茂2度目のノーヒットノーラン(2001)
勤務先のMacにMac OS 10.2をインストール。 フォルダ名などが全角カタカナになっており、これではCUIで操作しにくい(バージョンアップは改悪) と思ったのだが、実はCUI環境では半角英数字で名前がつけられていた。 ひたすらGUI好きの人に負担をかけず、CUIで操作したい人にも迷惑をかけない点はすばらしい。

なぜか本日も夜は梅田。新年度飲み会3部作はなかなか楽しいものであった。 さすがに授業の始まる来週からはこうはいかない。

6日 京都5-1東京V、黒部が3得点(2002)
桜満開で天気もよく、本日花見を企画していた集団は大正解の一日であった。 一昨日の花見を企画していた京都の集団はどうなったのか気掛かりではある。

伏見桃山のSATYで買い物をしていたらルネの後輩を目撃。 この商店街の客の居住範囲は案外広い。

神戸0-2京都。激しく荒れた試合で怪我人も続出し、やや後味は悪い。 神戸のKAZU投入により、スポーツニュースのダイジェストでも京都の2得点のシーンより、 KAZU投入場面とKAZUシュートの場面の時間の方が長くなった。 勝利チームのメディア露出を押さえるという嫌がらせとしては多大な効果があるKAZU投入である。 昔は京都もこのような嫌がらせをしていた加害チームだったのだろうかと考えると気が重くなったが、 あの頃のKAZUはまだ得点もしており、先発で使って負けていただけなので嫌がらせには該当しないだろうと勝手に納得する。

7日 コンビニの冷房がON(2001)
「すみません。電車の乗り方を教えてください。」と、泣きそうな声で高校生が質問してきた。 何が聞きたいのかは分かるがもう少し具体的に質問してほしい。 どこまで行きたいのか聞いてみると、大久保とのこと。こちらも近鉄利用暦は少ないのだが、 答えられる場所で、高校生にとっては幸いであった。 本日は長尾駅でも駅員にバス乗り場を尋ねる学生がいた。本日は道を尋ねる風景が全国あちこちで見られたことだろう。

メールボックスが溢れているという報告を頂く。いろいろと待っているものが全く届かないので どうしたものかと思っていたのだが、外からの郵便物や学内の連絡が届くメールボックスは私の知らない 場所にあった(これまで私が見ていたのは自然・情報系の中だけでのメールボックスであったようだ)。 中には本日締め切りの書類などがあり、先方に謝罪して締切を後日にしてもらったりなど、慌ただしい時間を過ごした。

夕方から主任の先生の「この日しかない」という判断で花見を開催。いつの間にか学長をはじめとする偉い方々も 加わり、気が付くと店に移動して飲んでいた。終電までいってしまうかと思われたが、私よりも終電の早い先生も おられたようで、私は電車2本ほどの余裕を持って帰宅することができた。

8日 2つの大学を比較する飲み会(2002)
日曜日の京都vs神戸で黒部と松井が負傷したが、共に軽傷で一安心。黒部は韓国戦の代表にも選出される。 サッカーマガジンには「柱は黒部」との見出しもあり、親善試合にもかかわらずかなり楽しみになってきた。

出講先で授業開始。この日までに完了しているはずのクラス分けが行われておらず、クラス分け用のアンケートで 授業は終了。学生には嬉しい一日となっただろう。

9日 タイガー・ウッズがメジャー4連勝(2001)
4月になってからのこのページの「顔の絵」が笑いっぱなしであったのだが、昨日とうとう途絶えてしまった。 これだけ続いたのは久しぶりなのではないかと思う。

朝ニュースを見ると松井が満塁弾を放ったとのこと。その映像を待っていたら出勤が予定より30分遅れた。 テレビ局にいいようにやられた感がある。

勤務先の昼食形態は、学部教職員控室に皆が弁当などを持ち寄って食べるというものであった。 皆で弁当を食べるのが通常であるというのは高校生以来であろう。 学部・院生時代は皆でどこかに食べにいくというスタイルであった。 昨年度はほとんどの昼食が一人あるいは採らないというものだったので、 昼食を複数人数で食べるというだけでなかなか嬉しいものである。

圧倒的に得るものが多い今年度であるが、失ったり不便になったものもある。 自室に冷蔵庫・コーヒーサーバーがなく、コピー機を使うために階段2階分下って廊下を 渡り建物を変えてから階段2階分上らないといけなくなった。

10日 仕事先の食堂で玄人気取り(2002)
本日は会議日。午前10時から午後6時まで昼食をのぞいて会議。6時から懇親会。4月になってから もう何回やったか分からない30秒自己紹介の最後(であるはず)。 もう話すネタがない。臨機応変が苦手な人にはつらい季節である。 15通りくらいの自己紹介は常備しておくべきであることを痛感する。 本日の自己紹介王者は「私は歩いていてよく溝にはまります」という人。 まあ、こういう人には勝てません。嘘はつけませんから。

明日からはフレッシュマンキャンプとやらで長浜へ1泊旅行。 旅行中に1回生はスポーツ大会(ドッヂボール)と履修登録説明を含む 第1回ゼミを行う。というわけでまだ正確に把握しているとは言い切れない 卒業するための科目のとり方などを学生に説明しなければいけない。 スポーツ大会だけなら気軽に参加できるのですが、、、

ちなみに昨年度は、学生部屋よりも教職員部屋がうるさいために一般客から苦情がきたそうである。 立場は変わっても苦情がくるほうに属していることは変わらないようである。

11日 授業開始(2002)
本日からフレッシュマンキャンプ。大学で集合してからバス9台で長浜ドームへ向かう。 大学に向かう途中で、元指導教官の子供さんを見かけるなどのちょっとした驚きもあった。 父親ともすれ違う可能性があるはずだが、この時間では可能性は低い。

まずは長浜ドームでドッヂボール大会。矢島ゼミは2勝1敗。 勝ち試合も負け試合もセットは2-1(1-2)であり、接戦であった。 最終戦が勝利であったので、盛り上がって終わることが出来てよかった。そして、 試合中に内野で携帯電話にでているあいだに当てられる奴がいたのが印象的である。

学生優勝チームvs教職員チームの試合はあっというまに学生優勝チームの勝利。 やる前から分かっていたことではありましたが。

夕食後はゼミごとにミーティング。自己紹介と履修登録の説明などを行う。 かなり盛り上がった。好きな野球チームとしてもっとも支持をされていたのはやはり阪神であったが、 好きなサッカーチームはガンバやセレッソではなく、レアルやユベントスであった。 Jリーグのチームの支持者も欲しいところではある。

午後10時にミーティングは終了。教職員控室へ。昨年度の反省からか、 今年は角部屋で隣は階段という苦情防止対策がとられていた。 学部長が3人がかりでプロレス技をかけられる。去年は2人がかりだったのだが、 今年はなぜか1人増えた。

12日 京都へ帰る(2001)
朝、エレベーターのドアが開くとなぜかエレベーターガールが登場。 学生がエレベーターを往復しながら遊んでいた。 遊びにもかかわらずなかなか落ち着いた仕事ぶりで将来が期待される。

慌ただしく大学へ帰るさいに、まさかのホテルのキーお持ち帰りをしてしまった。 余裕あるようで実際にはなかったことを思い知らされた。

京都0-1柏。久しぶりに見る駄目なゲームであった。 平井と石丸が目立つという試合は苦しい。

13日 母方の祖父の100才の誕生祝昼食会(2002)
月一の研究会で梅田へ。引越効果により、かなり往復は楽になった。

帰りの京阪特急テレビカーでは阪神vs巨人を放映。なぜか川相が守備についている。 早くも清原離脱なのだろうか(未確認)? そしてライトファールフライを元木と仁志が追って激突するシーンが放送される。 ペタ効果も他球団の期待通りというところか。

一昨日あたりに学生の会話を聞いていると「巨人嫌いやけど、清原は好きや」 みたいな話をしているのだが、なぜ好きなのだろう。 15才〜20才までの清原を知っている人なら、現在の清原の姿は許しがたいものがあるのだが、 その頃を知らないということの影響もあるだろう。

14日 睡眠中に携帯電話バッテリー切れアラーム鳴らず寝坊(2002)
ラドクリフがロンドンマラソンで2時間15分25秒という驚異的な世界最高記録を樹立。 記録そのものよりもヌデレバを4分引き離すというところがおそろしい。

授業が本格的に開始。授業(通常業務)やっていると落ち着きます。

15日 初めてネクタイをして授業(2002)
出講日。今年初めて授業をする学校と2年前から授業をしている学校をまわる。 今年初めて授業をする学校の学生はこれまで私が教えてきた学生とは少し様子が違うようである。 FORTRAN77の実習において、先頭の6文字を空白にすることなどを一度説明しただけで40人が 皆聞いていたようで、誰も間違えない。「作業を中断して前をみてください」というと皆その通りこちらを見る。 これは凄い。注意事項などは何度説明しても聞いていない学生や分かっていない学生がいるのが 当たり前なのだが、一度説明しただけでケリがつくとは。 こんなやりやすい(楽な)ところもあるものなのか、、、

授業終了後に久しぶりに3階にいる先生のところに挨拶にいく。 これまでと違い、互いに先生同士としての会話が展開された。

16日 初めてPowerPointと用いて授業(2002)
朝からめざましテレビの占いは蠍座が最下位。非常によくある(確率12分の1をはるかに上回る)展開である。

1回生ゼミの初回(フレッシュマンキャンプ:通称フレキャンを除く)は合同授業。 就職とフリーターの違いについての説明を行う(私がやるわけではない)。 かなり重要な話であるはずなのだが、それでも寝ている学生が私のゼミの中にも数名いる。 2〜3回は起こしたが、それでも起きない奴は起きない。大学の授業ではやらない類いの 話をしているので、聞いておくべきものなのだが、それほど重要であるという意識はない ようである。もっとも自分が大学入学したてのころを考えると、それほど 明確な見通しがあったとも思えない。仮に同じような話をされてもまじめに聞いていたとも思えない。

17日 研修料を支払う(2001)
2回生対象の就職ガイド的な合同授業が行われ、出席のみとりにいく。 ややだるそうに見えるのが気掛かりである。

夕方からこのキャンパスの偉い人と新人で懇談会。初めてのお酒のないイベントである。 学部間での意見の交換などもあり、新歓という雰囲気ではなかったが、 自分がこっちの学部でよかったと実感。あっちの学部だったらボスと戦わないといかん。

18日 研究室が新4回生を迎える(2001)
本日の昼過ぎにやってくると先日一方的に告げて電話をきった営業マンの登場予告時間にあわせて食事に出かける。 ところが夕方に部屋の戸を叩く人がいたので戸を開けてみると別の営業であった。 国語辞典の売り込み。価格は20万円。「20万ならもっと欲しいものが沢山ありますので、、、」と柔らかくことわると 今度は百科事典DVDの売り込み。価格は3万8千円。おそらく本当に売る気があるのは(売れる見込みがあると考えているのは) こちらなのだろう。20万円の商品を見せておいてから3万8千円ならお安く感じるだろうということなのだろうが、 別にいらない。唯一これなら考えんでもないという条件を一応ぶつけてみる。 「やはり、この手のは常に新しい情報が欲しいではないですか。2004年版はアップデート分だけの価格で手に入ったりするのですか?」 と聞いてみると、「こういうものは一度作ると次は8年後くらいになります」という予想以上にひどい答えがかえってきたので、 「8年ではお話にならないですね。」と答えてお引き取り願った。 あちらさんも少し機嫌が悪くなったようで、広げたパンフレットをおいていくこともなく持ち帰っていった。

無駄にした時間は5分程度であるが、無駄さにもほどがあるといいたくなる5分であった。5分あれば珈琲のひとつでもいれることが出来る。 欲しいものは自分で情報集めて買い、欲しくないものは他人にすすめられても買わないので、 欲しいと思わせるための広告には意義を感じるが、営業に関してはどうしても無意味な活動に思えてしまう。 本当に凄い営業の人というのは、欲しくないものまで買わせてしまう力を持っているのだろうか。

19日 学部時代の同級生が遊びにくる(2001)
朝から出講、その後ルネに挨拶に行き、昼過ぎから上七軒歌舞練場にて第五十一回北野をどりを鑑賞。 まずお茶をいただいてから客席に向かう。土曜ということもあり、客席は満席であった。 「狐火御御渡り」「四国うたの旅」「上七軒夜曲」の2部+フィナーレ。 秋はこちらの体調不良かつ難解であったが、今回は体調良好かつ分りやすいものであったので、 大いに楽しむことができた。最後は舞台から舞妓・芸妓全員が客席に畳んだ手ぬぐいを投げ込むのだが、 私の目の前にもひとつ飛んできたのでうまいことサイン入り手ぬぐいを手にすることが出来た。

をどり鑑賞後、劇写真団の第1回劇写真団展に足を運ぶ。 大石監督の写真が外苑スタジオ賞 という賞をとったようで、団展も大いに盛り上がっているらしい。

その後、京大の様子を伺い、無双にてビール+焼肉、さらに再び上七軒でをどり鑑賞メンバーと合流。 最後のこきみさんのところまでついていったため、丹波橋にかえることが出来なくなり、亀田邸にお世話になる。 近年稀に見る豪遊日であった。

サンガがまた負けている。黒部早く帰ってきてくれ。

20日 誤って学生の健康診断を受けて強制送還となる(2001)
宝が池球技場にてアメリカンフットボール京大vs鹿島を観戦。京大7-22鹿島。 天候悪く、例年ならファンブル続出で試合にならないのではないかと懸念されたが、 試合にはなっていた。だからといって先が明るいかという決してそうでもない。 これまで何度となく挑戦して失敗しているパッシングチーム作りであるが、 今回挑戦中の第4次パッシングチーム計画が、過去のものと比べて優れているようにも 思えないのである。
21日 プロ野球パリーグにて近鉄が首位となる(2001)
京大から荷物が届く。持ち上げてみたら見かけよりもやたら軽い。 差出人の名前を見た瞬間「やられた」となった。 金利手数料はおろか送料までも、さらにあろうことが品代も 「ジャパネットよした」が負担してくれたようであるが、 後から請求書とかきたらどうしましょう。

野茂がメジャー通算100勝達成。SFジャイアンツ相手の初先発の 日のことを久しぶりに思い出した。相手には偉大な選手ではあったが まだホームラン連発ではなかったバリーボンズいた。 四球連発で塁を埋めてから三振でしとめるという日本と変わらぬ投球に 安心したことを覚えている。

初任給とやらが振り込まれたようであるが、京都市左京区に行く予定はしばらくない。

22日 親指の爪がようやく自然にはがれる(2002)
出講日。出講先の移動手段もいくつか試すことによってようやく最善と思われる方法が見つかった。 大学から彦根駅に行くバスが時刻表記載の時間よりも早く駅に到着することが判明したからである。 時刻表通りであれば、JRへの乗換えがやや厳しいかと思われたが、バスの運転手もJRへの乗換え客 を意識した運転をしているようであり、これを信頼することにする。

久しぶりにお気に入りの食堂を訪れる。夕食時のメニューは昼食時に比べて少なく、昼ほどの魅力はない。

23日 運転免許証の住所を変更(2001)
本日は学部の新任教員歓迎会。一連の新歓行事も終わりを告げようとしている(まだ残っている)。 昨年度卒検発表会およびその打ち上げに始まり、プレ新歓と追コンを兼ねた系合宿(ここまでは昨年度)、学園全体の新歓(辞令交付式)、 花見、キャンパス全教職員の懇親会、新任教員と役職の懇談会、そして今日が学部の歓迎会という具合である。まだ情報系の歓迎会が行われて いない理由は、イベントが予定されていない5月にとっておこうというものであるらしい。

本日の開始時間は午後5時からと早く、2次会が終了してもまだ10時前であるが、 終電縛りの先生も多く、ここで全て終了となる。個人的にはまだ帰るには早いので、 京大の新歓の様子を確認し、急遽参戦表明。京阪の終電までわずか40分あまりの時間ではあったが 適当に言いたいことを言って慌てて帰った。あと30分くらい遅い電車が欲しい。

メールボックスに名刺があった。研究会やシンポジウムのある3月に欲しかったところであるが、 まあ仕方がないだろう。とりあえず初めての名刺を眺めて見る。日本語表記を見てから 裏の英語表記を見る。"AKIRA YAJIMA Assistant Professor Faculty of Management and Information Science......."とあるが、何か間違えてませんか。

歓迎会において、アメリカンフットボール部の顧問になりませんかと打診される。

24日 研究室新歓コンパ(2002)
どうやらうちはAssistant Professorが講師らしい。確かにWebなどを見ているとAssistant Professorを助教授としているところと 講師にしているところと二つあるようで、助教授がAssistant Professorの所は講師がLecturerで、 講師がAssistant Professorの所は助教授をAssociate Professorとするという具合に好き勝手に名前をつけている。 ここまで書いてみて、そういえば昔もこんな話をしたことがあるような気がしてきた。 あまりにどうでもよい話であったので忘れてしまったのだろう。

本日は特に何もなくルーチンワークをこなす。帰りの電車の時間なども固定されつつあり、 同じ時間にコンビニで缶ビール1本買い続けているので、 バイトの人に覚えられる日も近い。

25日 研究室新歓コンパ(2001)
朝、京都新聞の読者投稿欄を眺めていたら京都市在住「桧山」姓のお年寄りからの「頑張れ阪神」の投稿があり、 親戚か偽名か偶然かいろいろ考えてしまう。選手の親にしては年寄りで爺さんにしては若すぎる年令であった。

こんなページもあった。 日本語ポストの英訳はやはり大学毎にしっかり決められており、その中では結構厳格に使い分けされているのだろう。 そういえば一昨年、研修員の英訳を事務にメールで問い合わせたときの返事は「京都大学では、 "research fellow"と呼んでいる」というものであった。返事は非常に素早く、 この手の英訳資料がかなり事務の人が探しやすい場所にあるということを感じたものである。

大教室(Max400人程度か?)で初授業(先週はガイダンスでした)。 これは想像以上に難しい。後ろの方の学生が多少うるさくしていも 教壇までそのうるささは伝わらず、授業が聞きにくいという状況 になっていることをこちらが把握出来ないのである。 授業終了後に「横の人がうるさかった」という学生も数人おり、 なんらかの対策を練らなくてはいけないだろう。

26日 ノートパソコン(Windows機)の試運転(2002)
出講日。慣れた実習室でのほどよい人数相手の演習授業ということで、やりやすさをあらためて実感する。 お気に入りの食堂で久しぶりに昼食をとる。土曜日でなおかつ学生の昼食時間よりは早めであったため、 全メニュー健在で座席確保も容易という嬉しい状況であった。いつものように中華弁当を注文。 勤務先大学の周辺は店が少なく、昼食もほぼ毎日同じようなものをとることになるので、 出講日の昼食はかなり楽しみとなっている。

本日は西京極で京都vs清水の試合があるのだが、夕方から研究集会の打ち合わせのために観戦にいくことが出来ず、 残念に思っていた。しかしながら家に戻って録画したものを見てみると、京都0-3清水。生観戦しなくてよかったのが救いだが、 嬉しかろうはずもない。テレビで勝ち試合を見て、打ち合わせの日程を恨む方がいいに決まっておる。 そろそろ斉藤さんに西京極への登場をお願いする時期がきたのだろうか。

27日 Mac&Win共存PC環境構築(2002)
何もない日曜日。実はこの何もない日曜日がそろそろ欲しかったのである。部屋の中は引越して一か月がたった今もなお 荷物が段ボールのままちりばめられた状況であり、少しはなんとかしなければと思っていたところに、何もない日曜日が やってきたわけである。収納ボックスなどを買い求め、荷物を整理する準備を整えるも、なぜか整理は進まず。 まず暑い。この部屋にはまだ冷房がない。部屋が片付いてから注文して設置してもらおうと考えていたのだが、 片付けはせず、冷房もないまま連休を迎えてしまったのである。これは明らかに手順を間違えたといえる。 とにかく冷房を注文して、工事日を決め、それを目標に部屋を片付けるのがこの場合の正しい手順であろう。 手順誤りの後悔と暑さと荷物整理に伴う各種資料閲覧大会で後片付けはほとんどすすまなかった。 とりあえずエアコンはWebから注文した。工事日は未定。

夜は久しぶりに野球をテレビ観戦。落合が副音声をやっているということで、主音声無視で副音声のみを聞いていた。 やはり主音声にくらべて遠慮がいらないようで、マスコミで巨人の若手と言われている選手は実は若くないことや、 審判の判定を「微妙」ではなく「間違い」と指摘したりなどなかなか面白かった。

テレビを見ていると沢口靖子がシーチキンのCMをやっていることに気が付いた(もう随分前からなのでしょうか)。 なぜこんなことが気になったのか。その昔、シーチキンのCMといえば十朱幸代であった。 そして十朱幸代といえば、関東地方のラジオ局であるニッポン放送の早朝番組のなかの毎日3分程度のコーナー 「十朱幸代のいってらっしゃい」である。高校生のころ、オールナイトニッポンを聞いているうちに眠ると、 目が覚めたときもニッポン放送の番組がラジオから流れており、この「十朱幸代のいってらっしゃい」をほぼ 毎日のように聞いていたのである。そして私が京都に移りすんでからのことであるが、 いつからかこのコーナーは「沢口靖子のいってらっしゃい」となったのである。 CMを見たときにどこかで見たメンバー交代だなと感じ、そのどこかが分かってほっとしたのである。 どこかで見たメンバー交代をCMタレントで再現するというのは結構印象に残るいい攻め方なのではないかと感じた。 ちなみに調べてみると今は「黒木瞳のいってらっしゃい」なので、次のシーチキンCM女優は黒木瞳と予想する。

真っ昼間に自転車に乗っていたら久しぶりに警察に呼び止められた。 信号無視をしていたらしい。少し前に広めの道路を横断したとき (停止して左右は確認したが)に信号無視 だったようである。当然のことながらそんなことはどうでもいいわけで、 要するに警官のやりたいことは自転車盗難チェックである。 値段やら購入場所などを聞かれるのはいいとしても、 かごの中の缶ビール1ダースはどこかで 安売りでもあったからなのかなど、本当にどうでもいいことを聞く。 「350ml缶12本が買い貯めになるか! だいたいお前らは見ためだけで判断しとる。 今日も半袖でなくて長袖で裸足でなくて靴下を履いていて サンダルでなくて靴を履いていたら絶対見逃したはずや。 ええかげんにせいよ!」という言葉をのみこんで対応した。

28日 研究室後輩の結婚式二次会に出席(2001)
連休前最終講義日。午後からは授業もなく、明日も授業はないので 午前で切り上げることも可能であったが、家に帰っても暑いので 大学にて作業を続けることにする。

土曜日に面白そうだということで購入した携帯電話型キーボード を試してみる。もちろん通常のキーボードの方が入力が早いのは 当然なのだが、今の大学生あたりで携帯メール打ちを得意として いる学生がどのくらいの早さで入力できるものなのか見てみたい という思いもある。連休明けの1回生相手のゼミのときに試してみることに する。とりあえず本日はPowerPoint操作リモコンとして使って みた。ノートパソコンから少し離れた場所からでも操作が 出来るというのは教室のつくりによっては便利である。

29日 母方の祖父満100歳(2002)
暑くなりそうなので大学へ行く。駅を降りて大学に歩いていく途中、 時間を見ようと携帯電話を取り出すと画面に"圏外"の文字が。 JRの駅から歩いて5分程度の場所なのですが、これは本当に圏外なのだろうか。 今日初めて気が付いたが、本当に圏外であるとしたらちょっとした驚きである。 そこから7分ほど歩いた大学内ではきちんと3本立ちます。 何かの間違いなのか、J-PHONEが弱いのか、私の携帯が古いのか、 不明であるが、最もこちらが願っている理由は"私の携帯が古い"である。 機種変更のきっかけになるだろう。

本日も研究会の打ち合わせで梅田へ行く。最近よくある展開であり、 その流れに乗ったかどうかは分からないが京都1-5市原であった。 最下位となってしまう。

30日 
勤務先の大学が連休中ということもあり、夜は京大に顔を出す。 4月に何回か顔を出していたのだが、そのときにゆっくり飲む ことの出来なかった人達と飲むことが出来てよかった。

京都パープルサンガの現状に関して語るメールが研究室 卒業生の中で頻繁にやりとりされる。メールのタイトルは 「そろそろ、、、やばい?」というようなものであるが、 次第に心配事の対象がサッカーチームから違うものに移って いきつつある。

第52会黒鷲旗全日本バレーボール大会において、高校生 チームとして出場していた大阪国際滝井高校がVリーグ王者 のNECに挑戦するもストレート負けとなる。