2003年11月

1日 西部食堂およびルネのOB・OG会の場所や時間を決定(2001)
出稼ぎ先が学祭のため休講なので、西京極には余裕を持って辿り着くことが出来た。 あらゆる手を打って臨む立命戦である。必死の守りで前半は京大0-7立命で凌ぐ。 しかしながら、前半耐えに耐えた守備陣は体力を激しく消耗しており、次第に怪我人続出。 攻撃時間が短く休む間もない。いつの間にか点差が開き、京大0-31立命で終了。体力負け。選手層が薄い。 攻撃陣が時間を潰せない。それにしても立命のバックスは凄い。高田も1回生のときとは比べ物にならないくらい よくなった。サックされても冷静さを失わない。川並も成長曲線にのって欲しい。

失意はとりあえずおいておいて、夜は2年ぶりの西部食堂・ルネ卒業生飲み会となる。 海外勤務・留学からの帰国者や子連れ夫婦などもいて楽しく盛り上がった。

大阪からの終電は把握していたと思っていたが、それは平日の話であった。 乗りたい電車はなく、結局京都駅に辿り着いたところで電車がなくなる。 タクシーという手ももちろんあるが、せっかくなので京都駅から家まで歩いてみようと考える。 近鉄の線路に沿って歩くも、何度か線路を交差してしまい、やや遠回りをしてしまったように思う。 1時間費やしてしまった。(後日、地図で確認すると、川を渡るチャンスを逃しており、川に沿って かなり南西に移動していたことが分った。出来るだけ早く川を渡ることを考えなくてはいけない。)

2日 長尾と飲みに行く(2002)
早朝目が覚めるも活動することなく、結局昼前まで寝る。とにかく何もしない日であった。
3日 京都は新潟に延長勝利(2001)
バレーボールを久しぶりに見ていたら、なんと韓国に勝利。日本3-2韓国。 今現在のバレーボール界でのこのW杯がどんな位置づけにある大会なのか分らず、韓国の 現状もよく知らないので、どのくらい大騒ぎしていいものなのかよく分らないが、韓国に勝ったのは大きいだろう。 過剰な演出ばかりが目立つバレーポール放送であるが、やはり選手と試合内容が良ければ それだけで見る気がする。試合中に時折はさまる芸能人のカットは相変わらず無駄であるが、 いい試合であれば、自然と選手を長い時間写そうとすることになり、負け試合に比べ少なくなるものである。

小久保が無償で巨人へトレード。 いろんな人がいろんな深読みを始めたくなる出来事である。 かつて90年代序盤、巨人が投手が余っていたころのこと、2軍の本原を100万円でダイエーに 売りさばいたことがあった。あのときは埋もれた人材を活かそうというものであり、 タダでもいいものをそれではあまりということで100万円という値がついたのだが、 今回は維持費を払えなくなった高級車を手放すような印象である。いずれにせよ、 本当のところタダのかわりに何があったのかはよく分らない。

4日 大石達が遊びに来る(2002)
出稼ぎ先が学祭で休講。ただし、午前中に本務校で打ち合わせがあったので、いつもの火曜日よりも朝は 早い。携帯の操作をしているときに、なぜかボタン音が鳴る。メール受信時にも音が鳴る。 目覚ましを止めたときに何か変なボタンを押してしまったのかもしれない。 マナーに設定したはずなのに、それでも鳴る。相変わらず操作方法がよく分らない。
5日 談話会発表(2001)
ローズも移籍らしい。これで大きな期待をすることはなくなるだろう。
6日 東海道線架線事故で新幹線に潜り込む(2002)
野球の五輪予選試合を見る。日本9-0台湾。代表メンバーにショートばかり選んでどうするのかと思っていたが、守備のうまい奴を選んで おけばポジションがかぶるのは大した問題ではないようである。うまい人はどこでも守れるものなのだと感心する。

といいながら、昔横浜が内野(進藤、石井、ローズ)を入れ替えて壊滅状態になり、元に戻してから優勝可能なチームになったことも 思い出した。なんとも難しいものである。

7日 授業中にソフトの扱いにもたつく(2002)
Fromが自分の携帯のアドレスのメールが、携帯メールアドレス変更後に初めて届く。それ以外のスパムも、番号@jp-k.ne.jp時代よりも 増えた気がする。オリジナルアドレスがあまりにも単純過ぎるのが原因ではないかと思う。

夜は野球の日韓戦を大学にて韓国出身の先生と一緒に視聴。「負けて下さい」とお願いされる。 韓国の選手の体がやたらと大きい。韓国出身の先生がいうには、とにかく食べ方が違うらしい。 里帰りして同級生などと食事をすると、もうその食べっぷりについていけないそうである。 40代でも若者のごとく食べるらしい。打席に立つ韓国選手を眺めながら、話に頷いた。

野球のCM中にチャンネルを変えていたら、ようやく私にも加護と辻の区別がつくように なっていることが分った。日本選手と韓国選手くらいの差があった。

韓国の先生は自国の選手には厳しかった。趙成民の話題になると「怠けているから駄目です」と一喝。 「(韓国の有名女優と結婚したが、あんな選手では)うまくいくはずがない。絶対別れると思ってました。」 と散々であった。日本などに比べて野球人口の少ない事や、海外でプレーする意志をもった選手が少ないこと などを嘆いていた。

京都新聞に大石が載っていた。劇写真団 のロシアツアーに関して取材されていた。「文化の伝道師」などと書かれていてかっこよかった。

8日 仕事先の新食堂に挑む(2002)
午前中は出稼ぎ。その後、時間を潰してから西京極へ。レジが出場停止ということで、市原が相手とはいえ期待はあった。 最初の10分、お手本のようなサイドチェンジを軸にいいように攻められ、失点は時間の問題と思われたが、 枠を外したシュート連発でしのいた。逆に最初のチャンスを黒部がねじ込んで先制すると、とくに危なげなく試合は進み、 後半にも黒部のミドルシュート、松井のシュートで3-0とリード。久々に爽快な試合になると思ったが、 守備固めで林を投入してから2失点(後日談:この2点は2週間後に重くのしかかることになる)。 やや後味悪く試合を終える。それでも勝ち点3は大きい。これで大分に負けた分を 多少は取り返すことが出来た。
9日 睡眠不足に苦しむ(2002)
天気の悪い日曜日。家で過ごす日曜日となる。音楽など聞きながらゆっくりと過ごした。
10日 京大6-14関学(2002)京都がJ1昇格(2001)
休みとなることの多い月曜日。授業が毎週でなく間があくことも多い。先週が祝日であったため、 本日の授業での学生の反応はかなり悪かった。1週休むと取り戻すのに1週かかることになり、 積み上げ型の内容の授業のときは致命的である。
11日 京都がJ2優勝決定(2001)西部食堂およびルネ卒業生飲み会(2001)
出稼ぎ日。雨であるが、日曜日も雨天で選択しなかったので、今日するより他に手がなく、室内干しとなる。 洗濯物の干された部屋というのはどうにも居心地が悪いので、夕方からの授業であるが、家での作業はやめて 外にでる。一乗寺のラーメン「鶴はし」にて久しぶりに昼食。その後、出稼ぎ先で授業をして、夜は軽く飲み会。 京都を脱出するかどうかなどの話をする。
12日 メモ帳更新開始(2000)京大18-0関学(1995)
このページの誕生日。毎年少しずつのバージョンアップを考えていたのだが、更新すらままならない現状では やや難しい話であり、当分はこのままでいくことにする。

水曜日は会議の日であり、前期はただ座っているだけであったが、最近はいろいろと準備やらなんやらがあって 昔に比べて忙しい日になっている。

13日 涙の日生(1977)京関戦初勝利(1976)著者誕生(1970)
乗換駅の新田辺駅前になか卯がオープン。早速利用しようと思ったが午前10時開店で利用出来ず。 電車の待ち時間が10分を超える場合があることを考えると、ここで電車の待ち時間を食事時間に変えることが 出来ることはかなりの効率化につながるだろう。なか卯使い過ぎに注意しなければいけない。

vodafoneのメールアドレス変更に伴い、メールの転送先の変更をお願いする。転送先の変更に関しては 先日失敗したばかりなので、今回は反省を活かすことが出来た。

帰宅時に大学の最寄りコンビニの前で原付と自動車の接触事故があった。私は反対側の歩道にいたが、 現場の一番近くにいた人間であった。事故の音でそちらの方向を見ると、丁度原付に乗っていた人が 歩道に投げ出されるところであった。自分のところの学生である可能性もあるので、 慌てて駆け寄る。聞いてみると体の右側が痛くて動けないと言う。ドライバーもすぐにやって来て、救急車を手配した。 コンビニを利用していた他の先生も現われ、二人して自分の学校関係者であるかどうかを気にした。 まさか倒れている人に、怪我の具合を聞いたり元気づけることよりも先に所属を聞くわけにもいかない (所属が違ったからといってすぐに立ち去るのも冷たいですし、、、)。 結局、救急車の人に尋ねるまで分らなかったのであった。学校関係者ではなかった。一安心。

33才になった。全くショックはない。むしろゾロ目で嬉しいくらいである。次にショックを受けるのは40才ですかね。

14日 ノブ南極へ(2000)講座の教祖様誕生(1972)
バレーボールW杯での韓国が思ったよりも弱いので、先日の韓国戦勝利の感動がやや薄れてきたが、本日はキューバに勝利。 素晴らしい試合内容で盛り上がった。用意したタレントの存在を消し去るような内容ある試合は爽快であった。 4年後はなんとか最近とは違う形の試合重視の放送に戻して欲しいものである。 なぜか日本が持っているW杯の永久開催権の意義はやはり大きい。レベルダウンもどこかで歯止めがかかる。
15日 月〜金週16コマを達成(2002)
京都駅にツリーが出現していることに気がつく。夕食を仕入れに、これまで利用したことのない伊勢丹デパ地下に行く。 上に本屋とパソコンショップがある関係で、京都駅での買物は近鉄プラッツが中心だったため、伊勢丹はなぜか利用していなかった。 初めて入る伊勢丹デパ地下は予想以上にスペース広く店も多く安いものから高いものまで品ぞろえ豊富であった。 新鮮でない野菜が格安で山積みなっているコーナーもあり、なかなか使えるという印象を持った。 お持ち帰りの弁当類も多く、ついつい買い過ぎてしまう。全体を把握するためにしばらくここを集中的に利用しようと思う。
16日 京都0-3磐田(2002)フランスW杯アジア第三代表決定戦日本3-2イラン(1997)
京大16-7関学。久しぶりに見る素晴らしい試合であった。関学相手の逆転勝利というのは実は記憶にない。試合巧者という言葉で片づけるのがあまりに安易 であるほど関学というのは試合中のアジャストに優れたチームであり、京大の過去の負け試合の中には逆転負けが数多くある。 その一方で京大が勝つ場合というのは京大が完全に力が上回っていて圧倒する場合が多い。 今日のような逆転勝ちはチームの対関学の歴史の中でも貴重な勝利である。今年の4回生は本当にいいチームを作ったものだ。 ゴールラインで関学を押しきった場面は久しぶりに興奮した。 立命の異常なまでの強さには敗れたが、プレーヤーも観客も納得出来るシーズンになった。 試合後の飲み会も98年以来の関学戦勝利でいつまでも盛り上がった。 神戸ウイングはお気に入りの球技場になった。

しかしながらその裏では京都1-3仙台という悪夢のような試合もあった。

17日 京大21-17立命(1991)
昨日の試合結果の掲載されている新聞やWebを見るのだが、見たい記事だけではなく、見たくない記事もどうしても目に入る。
18日 仙台がJ1昇格を決定(2001)
午前は守口キャンパスで会議。午後から出稼ぎという月に一度のパターン。出稼ぎ後は京都駅で伊勢丹デパ地下の調査を続けた。 プリケーを手にした母親から携帯メールが届いてかなり驚く。電話がかかってくることに比べてなんと鬱陶しくないことだろう。 是非、メールにはまって欲しい。
19日 曙優勝(2000)
会議日。難解な日本語のためにその解釈に時間が長引く。いろいろな意味にとれる日本語を会議の資料に書かれる困る。 全ての意味の場合について対処を話し合わなくてはならない。法律関係の先生の多い隣の学部の会議などではどうなったのか多少気になる。
20日 京大30-28関学(1983)
5時限目に13人の先生によるリレー講義の当番をこなす。かねてからやってみたかったメディア・リテラシーを扱う授業を実践する。 この学校の学生の特徴として、何かを読んで感想を書くことや、何人かでディスカッションをするのが苦手であるということが挙げられるので、 あまり反応はないのではないかと予想していた。 授業では、先日の日本テレビの視聴率ごまかし問題に関するニュースの映像を、ニュースステーション版とニュース23版の 2通りは見せて、両者の違いを書いてもらった。予想に反して多くの学生がかなりの量の文章を紙に記述していた。 こちらはもうひとつ先日の選挙結果の総括のニュースの映像も2通り用意していたのだが、学生がかなり文章を書くので そちらを見せる時間がなくなってしまった。文章に対する反応の薄さと比べるとテレビに対する反応の良さは 驚くほどであった。これだけ反応があるならば、それを使ったディスカッションまで持っていくことが可能だったのではないかと やや後悔した。学生から「2通りの選挙のニュースも見たかった」「ニュースをもっと見ようと思った」という感想があったので、 一応成果はあったということになるだろう。

アメフト部の新チームから顧問就任の要請があった。

リレー授業終了後におめでたいメールが届く

21日 イチローがア・リーグのMVP(2001)初の単独優勝京大17-7関学(1982)
統計学の教科書は、巻末に正規曲線の面積の表や、t分布の表があり、それを見て解く問題がかなりある。 後期が始まってすでに8週。それにもかかわらず教科書を買わず、従って問題が全く解けないというか解く気がない 学生が多い。頼むから教科書買ってくれ。価格が高いというならせめて巻末の表だけでも誰かにコピーさせてもらってくれ。
22日 京大24-14関学(1987)
出稼ぎ授業後に京大に立ち寄ってから西京極でサッカー観戦。神戸に敗れる。朴康造やシジクレイといった京都在籍経験者にやられる。 覚悟は決まった。
23日 必勝祈願参り(2001)京大21-10関学(1992)
親から電話がある。出来る限りメールでやりとりする方向に持っていきたいので、申し訳ないと思いながらも 敢えて無視してみた。その後しばらくして携帯メールが届く。内容は「携帯の充電の仕方を確認したくて電話しました」というものであった。 メールが届くということで、無事充電出来たようである。

日本育英会のWebを見ていたらほぼ全てのリンク先のファイルが存在しないというおそろしいページであることが分ってやや驚く。

24日 池田披露宴(2001)京大48-27立命(1996)プレーオフ京大23-30関学(1991)京大35-7関学(1986)
世間的には連休であるのだが、月曜日の授業回数の少なさを補うため、本日は通常の月曜日の授業が行なわれた。 やはり学生はやや少なめ。電車のダイヤはもちろん休日ダイヤであり、多少注意が必要であった。
25日 実習授業でマウスをドラッグ中に寝てしまう(2002)
出稼ぎ先で授業終了後に最近最も気に入っている食料調達場所である伊勢丹デパ地下に行く。かなりはまっている。

「伊藤家の食卓」を久しぶりに見る。誰でも知っているようなたいしたことない場合でも伊東四郎が鐘を連打するのが この番組に嫌なところなのだが、しばらく見ていないうちに方針が変ったようで、たいしたことないネタはそういうものとして 扱うようになっていた。必要以上に大げさに扱わないという点でこれは評価出来る。

26日 京大7-3立命(1995)京大3-3関学(1989)
久しぶりに弁当を作成して大学に行く。

学生から質問があり、当初何を質問しているのかよく分らなかったのであるが、話をしているうちに、 どうやら大学の年間スケジュールというものを把握していないということが分った。大学は前期と後期の2期があって、 後期の途中に冬休みが挟まるということを説明する。

統計学の練習問題の採点をする。確率の値が1を超えたりマイナスになったら間違いであるという感覚は持って欲しい。

27日 地球物理ソフトボール大会制覇(2000)京大21-0関学(1994)
2回生ゼミにおいて、全学生を3週に分けてプレゼンテーションをさせている。6人が発表予定であった本日のゼミは30分前に終了。 準備出来ていないからといって逃げることはやめなければいけない。

リレー講義に来ていただいた外部講師の方を囲んで食事会。自分達の世代が抱える問題などをいろいろと指摘される。

28日 栃東の大関昇進が正式決定(2001)
研究室から出ようと帰り支度をしている時に、テーブルタップのスイッチを足で踏んでしまい、一瞬にして部屋に静寂が訪れた。 部屋の中の配置などもう少し考える必要がありそうである。
29日 授業の午前午後格差問題に悩む(2000)
シーズン最終戦。京大31-7近大と会心の勝利。近大のエースランナー土手下を封じ込め、池上がリーディングラッシャーとなるという嬉しいこともあった。 シーズン終了飲み会が開催される。シーズン最終戦が勝ち試合になるのは久しぶりのことであり、飲み会は盛り上がった。明日の関学の勝利を期待しつつ、 小きみさんまでのフルコースをこなして帰宅。

すでに覚悟は決まっていたが、京都パープルサンガのJ2降格が完全に決定した。 

30日 月〜土週18コマを達成(2002)京都3-2市原(2002)京都パープルサンガが三浦知良に戦力外通告(2000)
休日であるが、沢山ある入試のうちの1日であり、大学へ行く。初めて面接官をする。なかなかしっかりした学生であり、気持ち良く相手をした。

関学vs立命において関学リードの速報に心を踊らせるが、立命が底力で逆転し、夢はかなわず。