2004年1月

1日 京都2-1鹿島(2003)二年参り(1993-2002)
謹賀新年。

明け方まで妹と話していたため、朝から眠い新年となる。雑煮を食べて昼過ぎに墓参りに行く。元旦に墓参りをする人が意外と多くて驚く。 昼寝をして目が覚めるとすでに夕方。去年は国立競技場で幸せな時間を過ごしていたことを考えると駄目な正月である。 夕食後に筋肉番付を見ると、古田(野球)河口(アメフト)里見(アメフト)と立命館OB運動会となっていた。結果を気にしながらも最終のぞみにて帰宅する。 新幹線と近鉄の改札が近く、ほぼ待ち時間なく急行に乗ったので、京都の家と東京の家の移動時間としては過去最短記録が達成出来たのではないかと思う。

2日 ライスボウル観戦のため東京へ向う(1993)
正月の百貨店に生まれて初めて顔を出す。京都駅周辺は初詣客でごったがえし、伊勢丹も大混雑であった。 夕食を仕入れて帰宅。

録画しておいた大晦日番組を視聴。

3日 京大16-19リクルートを観戦(1997)京大35-21松下電工を観戦(1996)関学23-28アサヒビールを観戦(1994)京大20-29アサヒビールを観戦(1993)京大42-8レナウン(1988)京大35-34レナウンを観戦(1987)京大29-28レナウン(1984)
アメフト観戦メンバーとライスボウルをテレビ観戦しながら新年会。 もう来年からいなくなる4回生のみを徹底的に応援する。 好きなだけ活躍してくれという願いが通じたのか、高田・冷水ともに活躍した。 立命ライスボウル2連覇。

輿さんが複音声で初心者向けの解説という放送形態であったが、 どう考えても主音声よりマニア向けだっただろう。

観戦後、初詣してから飲み食いや子供相手のドンジャラなどをしていたら帰るタイミングを失い、 始発電車で帰宅。

携帯待受け画面の舞妓さんがやめてしまったことが分かり残念であった。

4日 研究室新年会(2002)
パソコンマザーボードやらケースやらCPUやらを購入してから大学へ。継続定期券購入を機にICOCA定期券にした。出費のやたら多い日。
5日 研究室新年会(2001)
HDやらFDDやらDVDやらメモリやら購入してから大学へ。夜になってから組立を開始する。

ICOCAの正しい使い方をようやくマスターする。カード読み取り部の上に定期券をかざして通過するだけでは時間的に短いようで、 何度か改札に捕獲された。きちんとタッチしなくてはいけないようである。歩く速度を変えずに通過出来るのは嬉しい。

6日 神鋼34-33トヨタ(2002)
学園の互礼会に出席。単なる新年会である。ほぼ全職員と教員が大学の守口キャンパスの食堂に集まったので、 歩きにくいほどの込み具合であった。食べ物がとりにくい場所になってしまったのは初参加ゆえの失敗である。 情報系の先生の中には生ビールサーバーのそばに陣取ったまま動かない方もいた。食べ物は無視でビール重視という ポジショニングは参考になった。瓶ビールでしばらく飲ませておいてあとから生ビールが出てくるという展開を読切ったものである。 気がつくと、食堂の中は10人程度しかいない状態になっていた。そのうち情報系の先生が5人と、抜群の居残り率であった。 終了後、守口キャンパスの先生の研究室に遊びにいく。全く話をしたことのない先生方と話をする。

どこに所属しようとも、昼間から酒が飲めるのは正月と花見であることは変らない。 赤い顔で昼間の道を歩いても不審に思われないのもこの時期だけであろう。

7日 伏見工業花園制覇(2001)
センター試験説明会。昨日は枚方キャンパスの教職員が守口キャンパスを訪れたが、本日は逆である。 センター試験の会場となるのは枚方キャンパスだけのようである。

研究室や部屋を見る度に、どうしてこうも掃除をしないのかと疑問に思う。

8日 国見高校サッカー2連覇(2001)
とりあえずパソコン完成。
9日 体調不良(2001)
授業開始。金曜日は最も進行の遅い曜日であったのだが、結果的に一番早く終わる曜日となってしまったのは不思議である。

電車の時間に合わせて大学を出発するつもりであったが、やや遅れたので途中少し走りを交えつつ駅へ向かう。 ICOCAで改札をくぐろうとするもなぜかゲートが閉じてしまう。戻ってもう一度タッチすると今度は二度続けて 入場は出来ないと警告が出る。そうこうしているうちに電車は行ってしまった。つかんだと思っていたが、 まだICOCAがどういうときにゲートを閉じるのか(どういう条件で通行許可となるのか)がしっかりと分っていない。

10日 完全休養(2003)
出稼ぎ先にて、課題提出と試験を実施。課題のGIFアニメーションは受講学生による人気投票を行った。 学生からの感想の中に、「人気投票をすることを忘れていて、対策を怠って、スポーツアニメーションにしてしまった。 人気投票をするのだったらもっとかわいいのにしておけばよかった。」(注:投票者は全員女性)という感想があったが、 先生がスポーツ好きなので、あまり心配することはない。見事な力作が揃い、なかなか満足である。

同志社33-38早稲田。見ていなかったが、大学ラグビーにおける上位校同士の試合を増やす改革はひとまず成功だと感じる。 同志社の場合、選手の資質で関東のチームに負けているというよりは、自分と同程度のチームとの対戦経験の少なさで負けていたのである。 このしくみならば、力が劣るリーグの代表も、試合を重ねるにつれて成長することが出来る。

異なるリーグとの対戦が甲子園ボウルしかないとなると、実力差を詰めるのは至難の業だろう。

夜は大石達と食事。いろいろと住む場所特有の悩みというのはあるものである。

11日 仕事先の学食に初潜入(2002)
研究集会に参加。人数は少なめであった。大学は最終授業の週であるから、いろいろと忙しい時期である。 終了後に新年会。

黒部残留決定。これは大きい。

12日 大学ラグビー関東学院大2連覇(2002)
乗っている飛行機が落ちたけど無事という夢を見る。

ICOCAを使うとき、ゲートが閉じるのではないかという恐怖感を覚えるようになってしまった。

13日 妹から2問ほどクイズがメールで届く(2002)
WWEがイラク遠征したときの様子が放送された。アメリカ万歳興行であり、毎週WWEを放送している国でも放送しなかった国があるのだが、 日本では放送された。収録日は12月24日ということであるから、ブッシュがイラクにいたとき、実はプロレス団体も イラクに遠征していたのである。屋外の急造リングであるので、いつものような派手な演出はなく、リングに上がるレスラーが 次々と米軍に賛辞を述べて試合をするというものであった。WWEには、米軍およびアメリカをリング上で非難するフランス人タッグチーム があるのだが、さすがに遠征メンバーには入っていなかった(注:今回はSmackDownの遠征なのでRAW所属の彼らが遠征チームに入らない のが普通)。また、現在怪我で療養中であるが、ハーバード大出身のレスラーもおり、力任せの暴力で解決するレスラーをアメリカに 例えて自分のインテリさをひけらかすキャラクターなのだが、彼が元気であったらどんな展開になっていたのだろうかという興味もある。 とにかく120分ひたすらアメリカ万歳USAコールな放送で、放送しなかった国があるのも頷ける。
14日 米大統領がクラッカーのどに詰まらせ気絶(2002)
本務校と出稼ぎ先の試験の日程はかなりずれているのだが、なぜか試験問題提出の締切は重なっており、 ここ2日が勝負である。まずは出稼ぎ先の試験問題作成。完成が夜になったので京都駅によって速達で郵送。
15日 雪の長浜(2003)ノートパソコン購入プランを実行(2002)
本務校の試験問題完成。 夜はギャングスターズ関係者を招いて慰労会。試験問題提出後に慌てて京都へ向かう。 電車に駆け込み乗車したが、ICOCAでなくては間に合わないというタイミングであった。 全力疾走のままスピードを落とさずに改札を突破出来た。これまでのICOCAで捕まった トラウマを払拭出来た気がする。

駅に、ICOCAが通過を認めない例を示すポスターが貼られ、 1月9日に改札に捕まったことも今は理由が分るようになった。 前の人が改札から抜け出す前にタッチしたが無効で改札に捕まる。そして引き返すときに センサーの上をICOCAカードが通過してしまい、入場が記録される。そのカードで入場を 試みたので蹴られてしまったのである。ICOCA利用者が続けざまに通過を試みるとき、 特に前の人の歩くのが遅いときは要注意である。これまでの切符挿入型の改札の場合は 前の人の処理が終わるまで挿入することが出来なかったので、前の人の処理が終わる前に 通過を試みることが出来なかったのだが、ICOCAでは試みることが出来る。そして、 完全にタッチしなくてもセンサーにかかることがあるので、利用者が意図しなくてもセンサーに かかってしまうことがある。これで入場が記録されてしまうことがあることも注意しなくてはならない。 私がはまりやすい仕組みになっていることは間違いない。

最後は「小きみ」で終了。終電で帰宅。録画しておいた「エースをねらえ!」を見る。 次からは見ない。原作漫画を読んだことのある人は見ない方がいいだろう。

16日 電気自動車と出会う(2001)
大相撲ダイジェストがなくなってしまったのは悲しかったのだが、深夜にNHKでダイジェストをやっていることに初めて気がついた。 いつからやっていたのだろうか。
17日 PowerbookG4到着(2002)阪神淡路大震災(1995)
センター試験監督。外国語・地理歴史・理科1・理科2・理科3の試験監督。拘束時間長く退屈であった。 唯一の楽しみは、巡回して受験票に記載された情報を読んだり、双子と思われる受験者が縦に並んでおり、同じようなペースで問題を解いている様子を見ることであった。 茶髪の受験生は全くいなかった。この年ごろの若者150人で茶髪なしはあまりに不自然であり、受験生が面接などを意識して髪を黒くしていることが分った。 合格したら色が変るのだろう。

帰り道に大学近くの飲み屋を除くと予想通り何人かの先生が飲んでいたので合流する。

18日 飲みにつれだされる(2002)
ここ数日、玄関の呼び鈴が鳴らされることが多かった。宅配便の不在票があるわけでもなく、 誰かくるという連絡があるわけでもないので、基本的に無視していたのだが、今日は玄関付近の流しで洗い物を しているときに呼び鈴を鳴らされ、さすがに居留守を決め込むのが難しかった。1回目は無視したが、先方も中に 人がいることが分っているので今日はもう一度鳴らされた。新聞の強引な勧誘かある放送局を予想して玄関を開けたが、 ビニール袋を手にした人が立っていた。どうみても何かの営業ではない。多少気を緩めて話を聞いてみると、 上の階の住人であった。洗濯物が下に落ちて1階の屋根の上に落ちているという。2階の私の部屋の窓から外に出れば とることが出来るので取らせて欲しいとのこと。部屋の状況がそれほど奇麗ではなかったということもあり、 私が窓から外に出て風に飛ばされてから雪と雨に濡れた洗濯物を拾ってきた。 これまで呼び鈴に応えなかった訳を納得してもらい、今後このような場合は郵便受けにメモを入れてもらうことで話をつける。 お礼を言われたので「いえいえ、どういたしまして(以下心の中:昨夏、夜中にお宅の部屋の鍵穴に鍵を突っ込んで開けようとする奴いませんでしたか。 あれは実は酔っぱらって帰ってきて2階と3階を間違えた私なんです)。」とかえした。

女子バスケットボールが五輪出場決定。

19日 上村愛子がモーグルでW杯初優勝(2002)上村愛子がモーグルでW杯初優勝(2002)
松井大輔も京都残留が確定したようで、もし大学に一番近いチームであることが京都を選ぶ一因になっているのであれば、立命館にも感謝しなければならない。 結局、角田と鈴木慎吾以外の戦力は残ったというところか。鈴木慎吾は京都がJ2に落ちなくても新潟の昇格によって返却しなければならない選手であったから、 いなくなったのは角田1人といえる。J2に落ちたとはいえ、昨年の今ごろはタイトルを獲ったということは、選手から見るとチームに対して 魅力を感じる部分なのではないかと思う。前回の降格時は遠藤をはじめとして戦力が抜けたことを考えると、今回は何か選手を引き止めるものがあったはずである。

授業最終日。

20日 貴乃花引退(2003)
出稼ぎ先で試験。問題が難しいという感想をいただいたが、結局公務員試験や基本情報の試験などで解く必要があるのだから、 今のうちに同程度の難易度のものに触れておいた方がいいというのがこちらの考えである。問題は厳しいが、採点は大甘なのでそれほど 心配する必要はない。

京都駅付近でコンピュータ関係の消耗品と様々な書籍を購入して帰宅。

21日 長浜に挨拶にゆく(2002)M2修論提出(2002)
いろいろと揉めた野球の五輪代表チームはプロ球団1チーム2名枠で構成されるらしい。 この時期にこの問題で揉めること自体がおかしい。 本当のドリームチーム編成のためにはペナントレースを中断しか道はなかったのに、 それをしなかったのだから、その時点でドリームチームは作らないという意思統一が出来ていたはずである。
22日 長浜城へ(2003)長浜最終授業(2003)
今シーズン最高の厚着で大学へ。ほとんどの人が2日前と同じような着込み具合。世間は私の薄着が理解出来ないようだが、 私からすれば最高気温が8度の日と2度の日で同じ着込み具合ということが理解出来ない。「寒くないですか?」逆に聞きたい。
23日 昼間の高速バスで東京へ(2002)
プレゼンテーション大会でうちのゼミ代表となった学生が、次年度の演習の登録に関して優先権 を持っているにも関わらず登録を怠っていたために優先権を失う、という悲しい出来事があった。 とにかく連絡事項は1度ではなく何度もしつこくという鉄則をこちらも怠っていたこともあり、 非常に残念である。

大学のポストに情報関係の書籍の献本があった。パラパラとめくってみると、 中にICOCA式(Suica式)のカードの仕組みについての紹介があった。 センサーにタッチするときのカードを横切る磁束の時間変化がカードの電力供給源となっていることが記してあった(ファラデーの法則)。 流石、新しい本である。これを知ったら試してみたくなるのは、ICOCAを非常にゆっくりとした速度でセンサーに近づけたら、 磁束の時間変化が少ないので、きちんとタッチしたにもかかわらず、電圧不足になるのではないかということである。 長尾駅で誰もみていなかったら試してみようと考える。

しかしながら帰り道では、完全に磁束変化のことを忘れてしまい、普通に通過してしまうのであった。

授業が終わって、ようやくこのページを更新するゆとりが出てきた。

24日 造形大授業ファイナル(2001)
久しぶりに家に閉じこもって過ごす。先日の落ちた洗濯物の件が片づいたにもかかわらず、 今日も玄関の呼び鈴が鳴る。この家を訪ねてくる人はこちらの予想以上に多いようである。

朝青龍が優勝決定。

25日 昼間の高速バスで京都へ(2002)
大会名には非常に親近感のある大阪国際女子マラソンは、牽制し合った結果スローペースの展開。 坂本直子が勝利し、アテネ当確。増田明美の「いろいろなものを乗り越えて来た人が沢山いるなかで、若い力が 勝つのがなんとも言えない」という主旨のコメントが印象に残る。

レース中に選手のレース前コメントを流すのだが、渋井からすぐに千葉というのは高低さが激し過ぎておかしかった。 見ている人に余計なことを考えさせないような配慮も欲しい。

そして市橋有里は今どこに。企業チームが解体すれば陸連がどれだけ期待していた選手でも消えてしまうのが現状。 今、層が厚いからといって楽観出来るものではない。

朝青龍が全勝優勝。ラグビートップリーグは神戸製鋼が優勝。ラグビーは昨年のW杯全敗も、試合内容はよく、 大学・社会人ともに新しいしくみがうまく機能しているように思う。トップリーグは全勝チーム・全敗チームはなく、 50点以上の点差の試合は1試合しかない。観客にとっても選手にとっても意味のあるカードが多かったといえる。

帰り道に携帯電話に2度も着信があった。どちらも大学関係。自分の担当科目に関する他の先生からの問い合わせと、 久しぶりに声を聞く自分のゼミ学生からの電話である。ゼミ学生、もう1週間早く姿を現すか、電話をしてきて欲しかった。 もはや頑張って補講に全部出るしか単位取得の道はない。

WebサーバにしているMacのOSを10.3にアップグレード。帰宅してみると、大学の自分のWebサーバに繋がらない。 帰る直前にはきちんと見えており、原因が分らない。

26日 京都駅付近で宴会(2002)
朝、いつもお世話になっている先生から体調不良で休むという連絡がある。 午後2コマ代講をすることになり、突然忙しい日となる。

大学についてMacを見ると、単にスリープしていただけ。 アップグレード後の設定の変更が完全でなかっただけであった。 とはいえ、試験前に授業資料をおいてあるWebサーバにアクセス出来ない時間帯を 作ってしまったことは大失敗である。言い訳捜しは大得意なうちの学生に 「授業資料が見えなくてやる気なくした」などの言い訳を与えてしまったかもしれない。 本当にこの手の隙をつくのはうまい。言い訳歴10数年のベテランの味というやつだろう。

本日はパソコン検定の学内団体試験日。仕方なしに受験する学生と、意欲的に資格を取りに来る 学生の温度差は激しい。上の級の教室は遅刻者もなく一斉にスタート。そうでない方の教室は 試験官が遅刻者対応に追われる。よくあるパターンである。

27日 仕事先で他の教員の授業チェックを受ける(2003)
午前中は守口キャンパスで会議。その後シャトルバスで枚方キャンパスに移動。道が空いていれば40分かからずに移動出来ることが分った。 どうもこれまでは道が混んでいるときのみ利用していたようである。 試験期間中ということで、何人かの学生が部屋を訪ねてきた。二人組の学生から試験に必要なので電卓を貸して欲しいというお願いがあった。 2つは持っていないと言うと、1つ借りてまた隣の先生の部屋をノックしていた。その次は3人組であった。 とにかく授業が分らないので教えて欲しかったのだが、担当の教官が部屋を空けているので(似たような内容の授業をしていそうな) 私のところに質問にきたのである。これは少し困った。授業ノートは持ってきてくれたものの、全て分らないと言われたら 全て説明するしかない。授業時にどんな説明をされたかも分らないので、説明の緩急のつけかたも見当がつかない。 やや途方にくれたところで、担当教官が部屋に入る音が聞こえ、私の役目は終わった。丸投げの質問であるが、 全く来ないで放置している学生に比べればはるかに良い。この3人の中に、次年度は私のゼミを志望している学生がいることが分った。 プレゼンテーション大会ではゼミ代表となってよい発表をしていた学生であり、とりあえずこういう学生が次年度ゼミにいてくれる ことはかなり嬉しい(統計学はやや苦手なようであるが)。
28日 二穴・細川の公聴会後に飲み会(2003)
午後から会議が2つ。2つめの会議は1回生のゼミ担当者15名+学部長による会議である。いろいろと次年度の話が決まり、 座長は次年度も継続となった。その後唐突に、次年度から副座長も必要だろうという提案が、ある先生からなされた。 学部長からいろいろと副座長の意味について説明があり、座長仕事を軽減し、次の座長候補となって引継をスムースにしたいとのこと。 座長「次年度も基礎演習(1回生ゼミ)担当の方でどなたかやっていただけませんか」(対象者15名)。 学部長「やはり、こういう仕事は若い人にやってもらわないと。」(対象者4名くらいか?)。 提案した先生「座長が経営系なので、情報系から誰か。」(対象者1名)。 私「えっ。狙い撃ちですか。分りました。」(了解)。 提案者と学部長の二人で昼飯でも食べながら決めたようにしか思えない。 まあ、別にいいんですが。来年だけでなく、 その先の仕事まで与えられたに等しい状況になったのは予想外である。
29日 寺田公聴会終了後焼肉(2002)
午後1時からと3時からの2回学生が質問にくることになっていたが、1時前に現れたのは 単に次の試験までの時間潰しにきた学生であった。作業しながら話聞いていたのであまり しっかり相手しなかったが、次の試験までの時間潰しの相手にはなっただろう。 入替るように午後2時頃、午後1時からと3時からの質問予定者が同時に登場。 二人とも試験の日程を考慮して質問時間を指定してきたものと思っていたが、 時間を変えてきたということは、何か試験を受けていなかったのではないかと心配である。 まったく授業に出ていなかった科目に対しての質問であったが、 物分かりのよく、少し安心した。
30日 講座関係者公聴会終了後焼肉(2002)
確定申告に必要な物が揃う。今回は源泉徴収票が7枚。面倒くさいが、還付金と作業時間から時給換算すればいい仕事のはず。 やるより他はない。

他の先生と打ち合わせ中にドアがノックされる。3人ほど質問に来たので20分ほど待ってもらう。 打ち合わせ後に3人を迎え入れ、 3人に説明しているときに学生から電話があり、相談したいとのこと。さらに2人がやってくる。 問題を解かせているうちに相談にのる。その後また別の学生から電話があり、問題を解かせている 間にその学生を事務室に連れていく。また1人質問に来たが、同じ科目だったので迎え入れて教える。 これはすぐに終わった。さらに1人の学生が質問に来たが、別科目だったのでお引き取り願う。 3人が帰ったあとで、また別の2人が質問にくる。先ほどお引き取り願った学生と同じ科目の 質問であり、このあたりタイミングが悪い。さらに2人の学生が問い合わせにくるなど、 ここで仕事初めてから最もドアがノックされたり電話がかかって来た日であった。

津川が公聴会を終えたので京都に遊びに行く。

31日 ワールドのWTB東田が引退(2002)
あっという間に1月が終わろうとしている。次年度の展望やら、それまでに何をしたらよいのかがいろいろ見えてきて、 いろいろプランを練るのが楽しい。一方、4月にならないと分らない不確定要素もあり、そのあたりはあれこれ考え過ぎない ように、同時にあらゆる場合に対処出来るように考えておかねばならず、兼合いの難しさを感じる。